アメリカ版『生きる』

ブレイキング・バッド』をアメリカ版の『生きる』とみなす事もできます。1952年(昭和27年)黒澤明の『生きる』では胃癌で余命短い事を知らされた初老の市役所課長が、官僚主義の抵抗にあいながらも、市民のために公園を完成させてなくなる。しかしアメリカ版の『生きる』の『ブレイキング・バッド』では、主人公のウオルターは、残される家族のために化学教師の知識を使って覚せい剤を作る話です。どうも不治の病に侵された主人公が人のために何かを成し遂げて亡くなるというのは日本的な発想なのか。でも少なくとも家族のために必要な教育費や家のローン、そして生活費を7千万円と計算して、それを何らかの方法で稼いでから亡くなると言うのなら分かるのだけれど。その方法が少なくとも法律すれすれの、でも痛快なものなら理解できるのですが。ドラッグの横行するアメリカ的な金儲けの方法、それも高校教師をやりながら、学校の実験室の備品を盗んで、違法ドラッグを生産・販売する「道を踏み外す」主人公にどのように共感すればいいのだろうか。
 ただ物語の展開は面白くて、つい先へ先へとDVDを観たくなります。現在シーズン1〜5+ファイナルのシーズン3の途中まで見てしまいました。昨年の『マッドマン』や『スーツ』と同様、また見るほどの深さはありませんが。メキシコに近い舞台のニューメキシコ州アルバカーキも意味がありそうです。