レイシャル・プロファイリング

racial profilingとは「人種差別に基づく取り締まりや逮捕」の事。特に白人警察官による黒人男性への暴力的な取り締まりについては、公民権運動時代のデモの映像を見ると、”Stop Police Brutality” というプラカードがありましたね。古くはジャズ・ミュージシャンがこのレイシャル・プロファイリングの被害にあってそれがトラウマになったり、近年ではラッパーも同様の被害にあっています。その体験がアイス・Tの「コップ・キラー」というような曲になる訳です。
これは警察官の職業意識と言うかモラルの問題だと思うのですが、アメリカの警察官は副業でナイトクラブの用心棒をしたり、法の公正な執行者という自覚が足りないと言うよりも、他の職業と変わらないと考えれば納得できるでしょうか。それと職種や公務員・私企業かそして契約の形態(フルタイム・パートタイム・コントラクター)によっても違うでしょうが、何よりも欧米と日本とでは職業観が異なるのでは。仕事と生きる事をかなりモラルも含めて重ね合わせてわれわれは考えがちだけれど、仕事を生計を得るための手段と割り切るような職業観では、警察官も教員も他の職業と同じ。そう言えば警官の副業ってコナリーの「ハリー・ボッシュ」シリーズの最初の相棒エドガー(黒人男性)は副業が不動産業、『ハリウッド的殺人事件』(2003)では、ハリソン・フォード演じる刑事の副業がやはり不動産業、そして『ブレーキング・バッド』では高校教師が洗車場でバイトなど、あるんですね。
さてここでも紹介したドナルド・ハリソンには甥のクリスチャン・スコットという若くて生きのいいトランペット奏者がいます。実は彼のアルバムを見ると、“KKPD”(クー・クラックス・ポリス・デパートメント)のようにレイシャル・プロファイリングについての曲がありました。この曲はライブの終わった後の警察に捕まって拘束された時の彼自身の経験を基にしたものです。ただ曲はインストで、内容はタイトルと曲調で理解するしかありませんが。ミュート(弱音器)をつけたマイルス張りの悲しみを湛えた演奏で始まり、後半オープン(ミュートを外して)にしてからは怒りが表現されていました。全編ドラムスの役割がとても重要だと感じました。何故かと言うとトランペットの抑えたソロのバックでの激しいドラムスが静(悲しみ)と動(怒り)の心の両面を対比して表現していて、後半部では激しいトランペットとドラムスが最後のカデンツァへとなだれ込んでいく、その通奏低音をドラムスが担っていたからです。

https://www.youtube.com/watch?v=kTWBxSk3owo