「アイダ・ルピノ」という曲

ポール・ブレイ(1932年生まれ)という少々前衛的なジャズ・ピアニストのソロ・ピアノの名盤『オープン・トゥ・ラブ 』(1972年)の2曲目に「アイダ・ルピノ」という曲がある。この曲は、ポール・ブレイの1965年のアルバム『クローサー』で初録音し、作曲したのはポールの元妻カーラ・ブレイ。曲調は何というかアブストラクトでスロー・テンポの美しい曲です。
 僕はこの「アイダ・ルピノ」という名前をポール・ブレイの曲で知ったほぼ同時期の1972年にサム・ペキンパー監督(1925年生まれ)の『ジュニア・ボナー』という作品でも見ます。「アイダ・ルピノ」は1918年生まれの女優
で、主演のスティーブ・マックィーンの母親を演じていました。その時54歳で今の僕よりも若いがおばさんもしくはおばあさんに見えました(ごめんなさい)。当時はサム・ペキンパー監督が『わらの犬』(1971年)で一人気が出て、1972年は『ジュニア・ボナー」と「ゲッタウェイ」を撮った年だった。
後からこのアイダ・ルピノは1918年生まれ女優で、ラオール・ウォルシュ監督の『ハイ・シェラ』(1941年)に主演した事を知ります。40を過ぎて初めて共に主演のハンフリー・ボガートを従え、タイトルロールのトップを飾った。映画の内容は明らかにボガートだったが、キャリアというか格とギャラもアイダ・ルピノが上だったのでしょう。
実は彼女はベティ・デイヴィスと比べられるタフなイメージを持った女優から女流監督になった先駆的な存在だった。7本の作品の一部です『ヒッチ・ハイカー』(The Hitch-Hiker 、1953) 、『二重結婚者』(The Bigamist 、1953)。彼女はそれまで映画で扱われなかったような女性の問題について取り上げた監督だったようです。もしかしたら女流のジャズ作曲者・編曲者そしてバンドのオルガナイザーとして先駆的なカーラ・ブレイは、女流監督にシンパシーを感じて「アイダ・ルピノ」という曲を作ったのかもしれない。