『マルタの鷹』再読

12月の支部大会で『「マルタの鷹」講義』を書いた東大の諏訪部さんに特別講演の講師として来て頂くので、今『講義』の方と、『マルタの鷹』を並行して読んでいます。本当は順序が逆で、『講義』を読んで講師にお呼びするのが順当だろうが、そこはそれ、推理作家協会賞受賞という名声に誘われて、またWeb英語青年に連載されたと言う事実にその質保証を期待しての決定だったが、先日学会でお会いして予想よりもずいぶん若いのに驚きました。経歴をみると41歳くらいの様ですが30代後半の外見でした。実は8年前の北海道支部が全国大会開催を担当した時のシンポジウムに講師として来ていただき、終了後の打ち上げにも参加されていた事を記憶しているのですが、ちゃんとお会いしたことはなかった。
さて『鷹』の方は20章、『講義』の方は23講で、キンドル版で原作を1章読んでは該当する『講義』の部分を読んでいます。これがなかなか深くて広くて面白い『講義』です。しかしキンドル版の誤植が多く少し興を削がれたので、昨年出た小鷹信光訳の改訳決定版『マルタの鷹』を買って、それで並行して読み続けています。
 例えば第2講では、第2章でスペード(主人公の探偵)が深夜電話で誰かの死が告げられ、しかしそれが相棒のアーチャーである事が読者に判明するまで2頁も費やされる不自然さについての説明がされる。それはハードボイルド小説の定番である一人称を排した徹底的な三人称の視点によるものだとされる。
 また第7講で第7章の「フリットクラフト・パラブル」というスペードが語るエピソードには「世界は偶然性に支配されている」という命題が、スペードにどのように影響するかが詳細に説明されている。そしてそのエピソードは、死んだ相棒とスペード自身の立場もまた偶然の所産で、スペードの方が死ぬ可能性もあった訳で偶然に支配された世界の不条理をも意味している。
 今回の支部大会は、シンポジウムの方が「文学と映像」なので、諏訪部さんの講演がそのテーマとどのように関わるか興味があります。一つの可能性としては、原作と映画の関係だろうか。ジョン・ヒューストン監督でボガート主演の映画がどのように読み解かれるか面白いと思います。