結末にたどりつく

 あまり何度も言うのも恥ずかしいけれど、3年ぶりに書いています。厳密に言えばこの3年で3回ほどシンポジウムの講師を務め、そのうち2回論集に論文を出し損なっています。8割くらいまで書いたものも1本あるので、今あるのを出したら少し間をおいて今年中に決着をつけようと。それに昨年発表した「スピリチュアル・ジャズと1960年代」も手を付けたい。
 で、今取り組んでいる論文がようやく結論にたどりつきました。昨日2月末提出を少し伸ばしてもらいました。久しぶりに結論まで達したのですが、これから手直しに数日かかります。
 今回は「ロード・ナラティヴ」というテーマの論集に参加するのですが、前から書こうと思っていた『越境』についてです。この作品については何度も書いているような気もしますけれど、2年前は「亡霊のアメリカ文学」でもこれについて書こうと思い挫折しました。でも今回のテーマには合うので大丈夫。
 『国境三部作』の中では、一番読みずらいけれど、もうやはり愛着がある。今回は旅と越境をテーマにテキストに密着して読み進めました。その結果、テキストに着きすぎた論文になったきらいも。それで、書いた後に見取り図を作って構成を再検討。これが良かったかも。本当は見取り図を描いて、それから執筆する方がいいのでしょうが。僕は何となく書き出して、行った戻ったりするような、手間のかかる書き方の方がいいような気もします。学生には勧めませんが。
 コーマック・マッカーシー作品の論文についてネットで調べていると、東大の教員が『すべての美しい馬』について書いていて、最後にサン・ビクトワールのフーゴーの例の一節を引用していました。残念、僕の論文でも使えたのに思いつきませんでした。このブログと作品と両方に密接に関連する文章だったのに。