Chega de Saudadeと「想いあふれて」

 このブログのタイトルの郷愁と関連するのだけれど、曲調(メロディ)と「想いあふれて」という邦題でノスタルジックな内容の 歌詞かと思ったらそうでもない。

 原題の訳は英語版アイトルのNo More Bluesと英語字幕のno more longingから「悲しみはもういらない」とか「切ない気持はうんざりだ」というような意味になる。でもポルトガル語〜英語〜日本語へと越境して行くと少しづつニュアンスが変わっていくのも面白い。

 でガル・コスタ(体が大きくなっていた?!)の映像に英語の字幕が付いていたので歌詞がよく分かったが、恋人に自分の元に戻ってきてほしいというかなり単純なラブ・ソングだった。

 しかもNo More Bluesの方は恋愛とは関係のない郷愁を歌ったものでした。

 「想いあふれて」、Saudade(サウダージ)という題名とさり気ない悲しみを湛えたメロディから勝手に曲のイメージを作り上げていたようだ。そして原題とは逆の意味である「想いあふれて」が歌詞の内容とは一致しているところが興味深い。
 つまりタイトルでの「(相手への伝わらない)切ない思いはもういい」という前説を元に、相手への思いを切々と「想いあふれて」歌う、というレトリック。日本語タイトルを作った人がそこまで考えたいかどうかは不明だが。

 サウダージという言葉が、サザンや高中正義山下達郎ユーミンポルノグラフィティなどが使っているが、これがインテリ臭 がすると音楽ファンが書いているのも面白い。

 盛田隆二の『サウダージ』も読んだ記憶があるが、この言葉が触発するものがあるのだろう。郷愁やノスタルジーという言葉が手 垢が付いたものと考えるか。既成の言葉では間に合わない感情を新しい言葉で表現したいというアーティストの気持ちだろが、ち ょっと目新しいおしゃれな言葉を使ったというのが僕の推理だ。そしてそんな風に使われて言葉は次第に普通のものになってしま うのだろう。


若き日のアントニオ・カルロス・ジョビン