Chega de Saudadeの様々な解釈

歌手や演奏者は意識的もしくは無意識に自分を刻印する。
 でも自己満足でも構わないカラオケではないのだから、テクニックと個人的特徴(声の質、楽器を操作する手くせ)を超えて聞き手に伝わるものが必要だ。曲に寄り添いながら、如何に歌手・演奏者の個性を表出し、かつそれが聞き手に納得させる普遍性を持ちうるかが味噌だと思う。
 この曲の歌唱・演奏でよかったのは、バークリー(ボストンにある音楽学校)でゲーリー・バートン(懐かしい!)に師事したエ ド・サインドンという白人男性のバイブラフォンによるものだった。師匠のバートンと同様4本マレットでの演奏はバイブラフォンの無機的に聞こえる音がボサノバの感情の起伏を押さえたミニマルな曲調と意外に合う。
  http://jp.youtube.com/watch?v=7eK0kIXkV8A&feature=related

 それとシコ・ビニュイロというブラジルの若手男性の歌手の弾き語り。ルシアナ・アルヴェスとのデュエット。
  http://jp.youtube.com/watch?v=QEebEm6fEAE&feature=related

 この中年ブラジル男性の弾き語りもいい。http://jp.youtube.com/watch?v=jetjn_lXctQ&feature=related

 ボサ・ノヴァ的な歌唱のジョビン、ジルベルトは昔と違って自分の好みには合わなくなってしまった。
 つぶやく様な歌い方によるニュアンスの込め方が昔は嫌いでなかったのに、今はもう少しメリハリの利いた歌唱が好きになったの は、年のせいで耳が悪くなったからかも知れない?!
 これがNo More Bluesとなるとかなりジャズっぽくなって、原曲から離れてしまうような気がした。
 ボサノバってジャズがローカルなポピュラー音楽から世界に広めた部分もある。もちろんジャズもボサノバのリズムを取り入れて新しくなった。ジャンルの越境のいい例で、ジャズの発生自体にカリブ海のミュージシャンやリズムの影響が強かったから、中南米のリズムに親和性があったんだと思う。
 でもボサノバの始祖たちのシンガー・ソングライター的な素人っぽい歌唱、そのメロディのある種ミニマリズム的なあり方はジャズの持つパワーとかメリハリのある表現スタイルとは微妙に違うような気もしますね。

高校の頃買ったボサノバの親類筋のサンバ・ギターの鬼才バーデン・パウエルの『ギターの詩人』
「悲しみのサンバ」はここ http://jp.youtube.com/watch?v=_iCMVqNLF7M&feature=related