モラルとマナーと犯罪

マナーの悪い自転車がある種の詐欺のターゲットになると言う話をしました。で、モラルとマナーの違い、モラルと犯罪の境界線について。
「モラル」はmoralityから来ている外来語で「倫理」と置き換えられる。倫理は「道徳」とも置き換えられ、社会慣習として成立している行為規範を意味すると言える。そして「マナー」はこの行為規範のさらに下位区分で「行儀作法」になり、具体的な行動になる。抽象性と具体性のレベルの相違ですが、例えば「自転車に乗る人のモラル」と言うよりは「自転車に乗る人のマナー」の方が正しいが、両方使うでしょう。つまり「自転車に乗る」という行為程度に「モラル」を持ち出す必要はないけれど、使う事に目くじらを立てる事はない。時々、立てるけど。
 と書いている内に少しずつ分かってくるのですが、「モラル」は抽象性だけでなく、日常的な行為ではなく、もう少し次元の高い行動を表すと言えそう。でも「不倫」は次元が高いとは言えないけれど、結婚というルール(これは法律で決まっている)に反する行為で、モラルの範疇か。今度は「次元が高い」と言うのは、抽象度の問題で、高度とか高級とかいう意味ではないと付加えなければならなくなる。たぶんこのような問題を論ずるときの用語の使い方に僕が慣れていないんですね。でも自転車の乗り方から、恋愛生活、そして国の将来を決める政治家の資質や行動にまで使われる「モラル」は、それだけ人間の行動規範または原理になっているという事でしょう。
 さて言いたかったのはスマホを歩きながら操作する若者や、舗道を突っ走る高校生のマナーの悪さではなく、政治家が「違法ではない」と献金問題で弁明するモラルの低さの事でした。政治家と言うのはわれわれ一般の人間よりも倫理性の高い人間であってほしい、とうのはもうないものねだりなのでしょうか。法律に違反するギリギリのところで活動する、刑務所の塀の上を綱渡りするような政治家は要らない。でも社会が疲弊すると、貧すれば鈍するで、人もそして政治家の質も劣化して行くのでしょう