シービスケットと1930年代のアメリカ

BSのスターチャンネルで『シービスケット』(2003)を少し見て、手元にあった未読の翻訳(文庫、2005年)を読むと、これは1930年代大恐慌時代のアメリカの物語なので、その観点からも面白い。翻訳が良くないとか、シービスケットを見出す調教師と騎手と馬主が出会うまでの部分が冗長だというコメントもあるけれど、ドキュメンタリー的な小説として、文化史として評価できます。
 原作者のLaura Hillenbrandは33歳で2001年にSeabiscuit: An American Legend (2001)を書いたけれど、もともと競馬ジャーナリストで、政治家の娘で小さい時から馬に乗っていたようです。作品のスタイルはニュー・ジャーナリズムの影響を受けていると言われています。今日もBSで放送されている『冷血』はフィリップ・シーモア・ホフマントルーマン・カポーティを演じていますが、原作『冷血』(1966)は、ニュー・ジャーナリズムの形成に大きな影響を与えたとされています。それまでのノン・フィクションは客観性が重視されていましたが、ニュー・ジャーナリズムでは、取材対象に積極的に関わり合っていくスタイルです。『冷血』を書くためにカポーティは、幼馴染のハーパー・リー(『アラバマ物語』の作者)を助手として、殺人犯を取材するですが、その対象への関わり方はある種の愛情にもなっていって。さてニュー・ジャーナリズムの代表的な小説家としては、この言葉を作ったトム・ウルフそしてノーマン・メイラー、ハンター・S・トンプソンなどでしょうか。
しかしヒレンブランドは、メーラーやウルフのような文学性よりもストーリーに重点を置いたものとされていますが、実際は細かい描写、史実に忠実なフィクションだと思います。この細かい描写が前段のように冗長だという評価にもつながりますが、映画化では人間による観察としてしか表現できなかったシービスケットの個性が文章ではうまく表現されています。それと冒頭のチャールズ・ハワードの物語が20世紀初頭の自動車登場の歴史をうまく物語として説明してくれて興味深い。調教師のトム・スミスの物語は開拓時代から続いた馬と関わる生き方が時代遅れになりつつも、競馬の調教師になる事でうまく機能していく、カウボーイのその後のような。コーマック・マッカーシーが書いた話と共通する部分もあります。開拓と文明化と、自然(馬に象徴される)との共生という物語。
 馬主のハワードは自転車の修理から、登場したばかりの自動車の販売に乗り出し失敗。そして1906年のサンフランシスコ大地震で救援のために馬ではなく自動車が有効だった事から、飛躍した自動車への関心により自動車販売の大物となる。しかしその財産を使う対象が自動車の登場によって使われなくなった馬になるのも皮肉と言うか、面白い運命のようにも思える。自然〜文明〜自然への回帰という当然の流れのようにも。