クーパーと開拓小説

いわゆる「額縁小説」ではないけれど、19世紀の小説は本文の前に「前書」やら「序文」が多くて説明的です。読み手が小説=虚構と言うジャンルに慣れていないのか、書き手の能書きが多いのか、今ならそれ自体もテクストの一部として解釈の対象となりますが。
さて今読んでいると書いたクーパーの『開拓者たち』は西部小説の原型ともされるけれど、西部が舞台ではないので「開拓」小説とでも名付けましょうか。岩波文庫版、訳者は村山淳彦(きよひこ)先生で、道東の出身で北大の先輩。大学院は東大となっていました。後書きにも北海道の事がふれていて面白かったです。さて、作者のクーパーについて日本語版のウィキでもほんの少しか書かれていません。自分のメモのために、村山先生の後書きも参考にしつつ、英語版のWikiをかなり刈り込んで訳してみました。
 James Fenimore Cooper ( 1789 – 1851)はニュージャージー州に12人兄弟の11番目として生まれます。1679年にイギリス(あのストラットフォード・アポン・エイボン)から入植したクエーカー教徒の子孫です。後に父のウイリアムニューヨーク州に引っ越して広大な土地を買いクーパーズ・タウンを作りますが、この名前は野球ファンには野球の殿堂で知られますよね。父のウイリアムは後に判事や国会議員を務めた成功者でした
 13歳の時にクーパーはイェール大学に入りますが、不品行?で3年で放校されます。その後17歳で商船に乗り、22歳には海軍の士官候補生になっていますが、後に海を舞台とする物語をたくさん書いているのは、その時の体験じからくるものでしょう。その間兄たちは次々に亡くなっていたので、20歳で父から財産を譲られ、21歳で裕福な家の娘と結婚をして7人の子をなします。海軍時代には造船や開拓地の生活、カナダの海岸や釣りなどについて学んだようです。
 1820年31歳の時に妻のスーザンに勧められて本を書くようになります。最初はジェーン・オースティン流の道徳やマナーに焦点を絞った小説Precaution を書き、1823年the Leatherstocking series(革脚絆シリーズ)の最初の作品The Pioneersを出版します。主人公はご存じ森の住人ナッティ・バンポ―で、デラウエアのインディアン酋長チンガグークと行動を共にします。このシリーズではThe Last of the Mohicans (1826)が最も有名でしょう。
 1830年代にはヨーロッパの反共和制を非難するThe Bravo (1831)のようなに政治小説の書き手となり、さらには 1839年に十数年かけて資料を集めてHistory of the Navy of the United States of Americaを書いています。そしてその後革脚絆シリーズ執筆に戻り、The Pathfinder, or The Inland Sea (1840) 、The Deerslayer (1841) を発表。クーパーズ・タウンで1851年61歳の時に水浮腫で亡くなります。