ハードバップの意味

ファンキー・ジャズの伝道師とも言われていたホレス・シルバーが先週の水曜日に85歳で亡くなった。ウィキには「特色のあるファンキーなプレイスタイルで知られ、ハード・バップの発展に寄与する。」とあるが、今モンクの文献を読んでいて、ビーバップ〜クール・ジャズ〜ハードバップの流れとその意味について考えていたので私見をちょっと。

 ハードバップについてはまたウィキですが「『ビバップの発展過程での揺り戻し』『ビバップの伝統の上に、ウエストコースト・ジャズの混在状態を経て、様々な音楽を取り入れて成立』『黒人のブルースフィーリングを熱く押し出したもの』と様々な形容がなされている。」とある。僕流にまとめるとビーバップの熱狂と喧噪の後に、クール・ジャズまたはウエストコースト・ジャズのように若干静か目で、アレンジの効いたジャズが主流を占めます。するとまたそれに飽きたらずビーバップに本家帰りした黒っぽい、しかしウエストコースト・ジャズの時代を経た痕跡も含めたハードバップが出現します。日本でもとても流行った(らしい)ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」に代表されるファンキー・ジャズもハードバップの一部。そしてファンキーというのは黒っぽいのりというかための効いた音楽なのですが、一方ではアレンジの効いた知的な音にも聞こえます。

 つまりビーバップ〜クール・ジャズ/ウエストコースト・ジャズを経て、2代前のビーバップのアドリブ重視に戻りつつも、1代前のクール・ジャズ/ウエストコーストの知的アレンジもあるという、ある意味では当然なモダン・ジャズ3代目の特徴となります。ま、孫がお祖父さんとお父さんの両方の特徴を受け継いだような。

 そしてこのハードバップの主要ミュージシャンを挙げると、モダン・ジャズの中心的なメンバーと重なる。マイルス・デイヴィスマックス・ローチアート・ブレイキークリフォード・ブラウンリー・モーガンソニー・ロリンズエルビン・ジョーンズポール・チェンバースなど殆ど1920年から30年生前後のまれで、50年代のハードバップの時期に20代後半から30才前後でその時代のジャズを背負った人たちでした。 そして大雑把にいえば、モダン・ジャズ創生期のビーバップとクール・ジャズ/ウエストコーストを経て、モダン・ジャズはハードバップとして一応の完成をみたと。その完成形を受けて、モード・ジャズ、ニュージャズ、ジャズ・ロック、フュージョン(・ジャズ)などの様々なスタイルが生まれます。

 で、セロニアス・モンクは1917年生まれで、ディジ―・ガレスピーと同い年でビバッパーでした。でも代表作はBrilliant Corners" (1957), Thelonious Himself" (1957), Monk's Music" (1957), Misterioso" (1958)と1950年代のハードバップの時代と重なり、60年代には日本でも評価されるようになった。もともとピアノ・スタイルはハーレム・スタイルともスライド・ピアノとも呼ばれる奏法を自分流にアレンジし、思索的とも自分の中に閉じこもるとも言えるようなピアノ・スタイルを発展させてきた。これが何故評価されるか。僕としては人がなかなか実現できない自由さ(自分勝手とも取れなくもない)をモンクはその音楽で表現したような気がします。自分の心の中に降りて行って、本当にこれは思える音だけを取り出して弾いてみるというのはなかなか難しいと思えます。そんな究極の自由の人としてモンクは愛され、尊敬されてきたような。