モード・ジャズ/印象派の発見

 木曜日は動画でまた失敗したので、その日から復権?すべく来週の「ジャズとスピリチュアリティ」の準備に入った。
 しかし日曜からの風邪は治らず、停滞〜少し悪化のモード。
 でジャズをどのように説明するかは難しいけれど、自分のジャズ歴やジャズ観を検証して調べ直すいいきっかけなのでそれなりに楽しい。
 さてファンクと同様、難しいモード・ジャズ。
 旋法(musical mode、モード)とは、それまでの和声から自由になるのは分かるけれど、主音あるいは中心音、終止音などの特殊化した音階を意識的に使用、って言われてもチンプンカンプンとは言わないけれど、学生に説明するには至らない。
 ドビュッシーがクラシックでモードを使用したと分かると、それって印象派?つまりモード・ジャズ≒印象派とすれば、印象派は細部の輪郭を見るのではなく対象全体を把握する感覚を重視。つまりメロディ≒対象の輪郭、和音≒全体の輪郭、モードは全体の印象となるだろうか。それなら、それまでの画家/音楽家よりも、全体の印象を把握する認識力と表現力が必要になる訳だ。
 それでマイルスやエバンスの様に、荒々しいタッチや大胆な色使いではなく、抑制されたタッチとパステル・カラー調やモノトーンの音色がぴったりするんですね。またアドリブの完成度というかコンポジションの能力がないと抽象的な美しさが表現できないので、かなりの音楽性が要求されるような気がします。
同時にマイルスのミニマルな表現スタイルにもあっていたような気がします。そしてドビュッシーラヴェルの音楽に親近感をもっていたエバンスにも
 モード・ジャズの到達点Kind of Blueのレコーディング風景です。コードではなくスケールを説明しているような。

 実はモードはモダン・ジャズの重要な通過点でしたが、その後コルトレーンはそれを推し進めてフリーに行ってしまうし、娑婆っ気のあるマイルスはエレクトリック/ロックの方向に行きます。
 そして70年以降のジャズは、ジャズの精神性/祝祭性につながるスピリチュアル・ジャズと、ジャンル融合/横断のフュージョン/クロスオーバーに向かいます。
 その後は、モードを取り入れつつ和音に基づくアドリブと、そして様々な音楽ジャンルをそのリズムをとりいれるようになっているように見えます。
 だから人によっては70〜80年代でジャズは終わったと考える人もいますし、90年代以降も従来のモダン・ジャズのイディオムにのっとりながらできるだけ今の音楽をしていると思うジャズ・ファンもいるのでしょう。