スピリチュアル・ジャズについて
「スピリチュアル・ジャズ」についてはしばらく考えていたけれど、アメリカの黒人音楽における精神性の表現と言うだけでなく、精神性と肉体性の統一的というか両面をもった音楽なのではと思うようになりました。たとえば「スピリチュアル」というと言葉の連想から「ニグロ・スピリチュアル」を考えますが、宗教の「スピリチュアリティ」を優先した「ニグロ・スピリチュアル」よりも、「ゴスペル」の方が黒人の精神性と肉体性を表現した音楽のはじまりだと。一方ブルースの方は世俗の音楽ですが、その発展形のR&Bやソウルの世界にはゴスペルの歌手が多く参入していいて、やはり世俗・商業性・肉体性が勝るとは言え、黒人の精神性とも関係があると言えます。
ジャズの世界では、その最初から「スピリチュアリティ」を持っていたという考えもありますが、マーティング・バンドがニューオリンズの葬送の音楽をジャズで演奏する時に、その宗教性と祝祭性を感じさせますが、その後のスィング・ジャズ、ビバップ、クール・ジャズ、ハードバップにはその要素はあまりありません。おそらく60年代の公民権運動をきっかけとして、黒人の自意識の中から「スピリチュアリティ」が出てきたと。
自分たちの音楽の持つ肉体性やビートの他に、「スピリチュアリティ」を意識したのはジョン・コルトレーンです。モダン・ジャズの可能性を広げる音楽的な実験を続ける求道的な姿勢そのものが「スピリチュアル」ですが、1964年には『ラブ・シュープリーム』という直接神を歌い上げるアルバムを作ります。しかし、コルトレーンは音楽的にも精神的にもある高みに達したのですが、そこには黒人音楽の持つ肉体性や祝祭性、そして自由な解放感はあまり感じられない。ま、ないものねだりというか、先駆者にあまり完全を求めても無理なのですが。
で、1967年に早世したコルトレーンの後を受けた、1970年代の黒人ジャズに「スピリチュアル・ジャズ」と呼べる作品がたくさん生まれます。コルトレーン後のジャズは、ファンクやロックやアフロやラテン、そしてフリー・ジャズをのみこんでいくのですが、総体としてスピリチュアル・ジャズとまとめてもいいような演奏したのはがサンダース、ビリー・ハーパー、チコ・フリーマンなど黒人サックス奏者だった。彼らは総じてパワフルに抗議や抵抗を歌い上げると同時に、スピリチュアルな救済と安らぎを表現する。結果として、当時のLP両面の長さになるような曲も多いのです。
最初に戻ると、精神性と肉体性を分けるのはもともと西洋の論理でありロゴスだと思います。もちろん1960年代のポストモダンの思想家は肉体性に基づく精神性、精神性と肉体性が不可分であること、精神性と肉体性の間の往復運動について考察していますが、アメリカの黒人音楽も天上を目指す「スピリチュアリティ」と肉体的なビートによって、抗議と祝祭性を表現してきたのだと思います。そしてそれが最も音楽的に成果を得たのが、1907年代から80年代にかけての「スピリチュアル・ジャズ」だと。