カルロス・ブロサン、フィリピン系アメリカ人作家

1913年アメリカ植民地フィリピンに生まれ、1930年17歳でアメリカに渡る。カルロスの一家は農家で、富裕層と政治体制のせいで、じょじょに土地を奪われていく事への怒りが彼の著作のテーマとなっている。
 半自伝的なAmerica in the Heartは『我が心のアメリカ』(1946年)と訳されているが、今回ブロサンを知るきっかけとなった伊藤さんの論文では原題を尊重して『心のなかのアメリカ』としている。おそらく翻訳のタイトルだとアメリカを懐かしんでいるようにも聞こえるが、中身は黒人差別と同様の凄まじい移民差別の実態を報告している事を勘案してだと思う。実際にアメリカに渡る前に描いていた理想のアメリカと、移民・人種差別の横行する本当のアメリカとの乖離を報告するテキストにもなっている。
 乖離と言えば、この作品では最後まで主人公カルロスは差別の暴力に次々に出会い絶望し、モラルを捨てて自堕落な生活に落ちる時もありつつ、アメリカへの思いを抱いている。しかしそれは作者もしくは出版社の市場を意識しての戦略とも、語り手の自己防衛とも、また語り手が嘘をつかざるを得ない事が人種差別の深刻な現実を浮かび上がらせているとも言える。そう考えると主人公の次自己欺瞞や嘘も背後に抱えてなら『我が心のアメリカ』というタイトルでもいいかも知れない。
 ブロサンは1956年42歳で結核の症状が進んで亡くなる。ブロサンが描いた1930〜40年代のアメリカの移民差別・人種差別・組合運動への弾圧についての正確さが問題なった事もあるらしいが、1970年代のポストコロニアル批評的視点も含めて再評価されている。もう少し詳しく述べるとポストコロニアルという世界的なパラダイムとは別に、マルコス政権下の戒厳令アメリカに亡命してきたフィリピンの知識人の動向と関係がある。もちろん彼らの緊急なテーマは反マルコス、反米だろうけれど、虐げられた人々を描いたアメリカにおけるフィリピン作家の見直しにも間違いなく貢献した。
 このカルロス(フィリピン時代はアルロス)の生家の貧乏さはなかなかすごいものがある。しかし現実のブロサンは高校までは出たらしいので、フィクションがどの程度含まれているか少し気になるけれど。そういう意味ではアメリカでのフィリピン系意味に対する差別は、黒人差別、アジア人差別と同様、と言うか、日系アメリカ人の物語では読んだことのないような、凄まじい暴力の実態(フィクション?)が描かれていて驚きました。
 書評を書くために読んだのですが、とても印象に残ったので紹介。