エルロイの過激な追想
アメリカの作家ジェームズ・エルロイのPerfidia(2014年)の翻訳『背信の都』を読みました。Knopf発刊の原著は七八〇頁ですが、翻訳も上下巻八二五頁の大作。書誌的にはL.A.四部作(『ブラック・ダリア』、『ビッグ・ノーウェア』、『L.A.コンフィデンシャル』、『ホワイト・ジャズ』)と、アンダーワールドU.S.A.三部作(『アメリカン・タブロイド』、『アメリカン・デス・トリップ』、『アンダーワールドUSA』)に続く、新たなL.A.四部作の一作目になるようです。ただここで重要なのは、舞台はもちろんロサンゼルスですが、時代設定を一九四一年十二月としている点です。そう、真珠湾攻撃の前後の三週間。『ブラック・ダリア』よりも前になります。
先ず作品を解釈するサブ・テクストとしてのタイトル”perfidia”は「不実」、「裏切り」という意味なので、この小説が今までのエルロイ作品と同様にロサンゼルスという「天使の町」での「背信」の物語が語られると想像がつく。そしてもう一つのサブ・テクストである冒頭に掲げられたエピグラフでは、若い女性が殺人の嵐に巻き込まれた23日間を追想する物語である事を宣言している。
この若い女性ケイ・レイクが、ダドリー・スミス、ヒデオ・アシダ、ウィリアム・パーカーと並ぶ主要な登場人物となる。ケイは『ブラック・ダリア』のヒロインの一人で、恋人ブランチャード刑事とブライチャート刑事との三角関係は、『背信の都』でも形を変えて再現されているのも興味深い。そしてノワールにおけるファム・ファタール(運命の女)であると同時に、彼女が一人称での「ケイ・レイクの日記」が登場人物の語りとして重要な役割を担っている。またL.A.四部作の陰の主役とも言える悪徳警官ダドリー・スミス。アイルランド系のスミス警部はここではまだ巡査部長で、最後には大尉となって出兵。真珠湾攻撃の前日に起きた同じ日系の一家惨殺事件を捜査する日系鑑識官のヒデオ・アシダは物語の中で唯一、正義を実現しようとする人物だが、悪も善も混沌とする現実の世界ではその分、影が薄いのは残念だ。そしてケイを一途に恋するウィリアム・パーカー警部は実在の人物で、アル中になってしまうのは警察や国家という組織の市民への裏切りへの失望が一因のようにも思える。また事件の捜査も日系人排斥と政治的思惑の混乱の中で停滞して行く。
作品を読み解く視点としては、「警察小説」の枠組みを使って「ロサンゼルスの物語」を描きつつ「アメリカ史」を語っているとも理解できる。「人種の物語」としては、メキシコ系の若者とアメリカ兵の乱闘(ズートスーツ事件)を描いた『ブラック・ダリア』から、ここでは日系アメリカ人の物語を描く事で、多民族国家としてのアメリカの物語を描いているとも言えるだろうか。ただアメリカは、原住民の中にイギリス人植民者が入り込み、新旧様々な移民が流入しての多民族国家なので、先に住み着いた移民(ネイティヴとも言います)が後からやって来た移民を排斥する歴史に満ちているのも周知の事だ。
また同じロサンゼルスを舞台とした「警察小説」であるマイケル・コナリーの刑事ハリー・ボッシュの方は、孤児としてのハリーにとって母親の事件解決が警察に入る理由でもあり、それは自分のアイデンティティー探求の物語と警察における正義追及の物語になっている。ただ母親が殺された孤児の物語は、エルロイにとっては作家本人の物語でもあり、それは当然のように『ブラック・ダリア』において虚実重ね合わされた苦痛に満ちた真実の物語にもなっていく。そしてエルロイ作品では警察の正義から、国家の理念と喪失の物語に拡大していく。そこが面白いとも言えるが、『背信の都』においてはその点で少し物語が大きくなりすぎてしまった感もある。つまり複数の登場人物の視点による断片が、最後に大きな物語に収れんしていくそのドライブ(推進力)が、例えば『ホワイト・ジャズ』のような圧倒的な力を持ち得ていないのかなとも思った。ただエルロイの描くロサンゼルスの戦中・戦後の裏面史は一種の大河小説(サーガ)ともなっていると同時に、人種的・宗教的偏見によるヘイト・クライムの蔓延する混沌とした現代のアメリカや世界をも暗喩しているようにも思える。
最後に、Perfidiaは恋人の「背信」を嘆くセンチメンタルなジャズのスタンダード・ナンバーのタイトルでもあるので、様々な「背信」を自明のものとして描く作品の激しい内容を対位法的にアイロニカルに伴奏するBGMとして聞きながら、本作を読むのも一興です。(図書新聞第3276号 )