藤村の子孫

 5日(月)午後、土砂降りの雨の中、カナダからの交換教授を迎えに千歳に向かう。空港では飛行機が水しぶきを上げて飛んでいく。
 22年ぶりにお会いするH.Shimazaki教授はネット上での写真を見ていた事もありすぐ分かった。1989年大安門事件のあった年にカナダ・アルバータ州にある提携校のレスブリッジ大学に交換教授で赴き、映画や音楽を交え、12名の学生に4か月間日本文化を教えました。
 その時に田中先生という日本人の先生が僕のアパートに来てくれたり、お宅に招いてくれたり、一緒にテニスをした記憶もあります。その後、事情があって苗字を変え、調査(たぶんブラキストン線についてだったような)のために北海学園にいらした事も。
 千歳からの車の中で、カナダ・コースについて説明。ホテルのレストランで引き続き、食事とお酒と打ち合わせ。この島崎先生は水彩画の画家でもあり、個展で日本に滞在中でした。また苗字の島崎は実際に島崎家につらなる家系だそうで、藤村の亡くなる年に、生まれたばかりの赤ちゃんだった島崎先生がおにぎり?のようだねと言われたエピソードもあるようです。
 藤村をあらためてネット等で調べてみると、浪漫派の詩人から自然主義の作家になっていく過程、また馬篭から仙台、東京、パリと移り住んでいく、そして姪との関係など興味深い。