フィルム・ノワールと赤狩り

 この2つは同時代に発生した現象で、ここにユダヤ人と言う係数を入れるとさらにこの時代のアメリカが鮮明に浮かび上がってくるような気がする。
 この時代のそんなエトスをふんだんに含む典型を見てみよう。それは赤狩りの被害者でユダヤ人である監督・脚本・主演と揃い踏みした映画"Body and Soul"(1947)だ。ロバート・ロッセン監督・エイブラハム・ポロンスキー脚本・ジョン・ガーフィールド主演のこの映画は日本未公開でTV放映のみ、『背信の王座』または『ボディ・アンド・ソウル背信の王座』として紹介されている。
 ロバート・ロッセンは『オール・ザ・キングズ・メン』(1949)、『ハスラー』(1961)を監督。1951年の非米活動委員会で証言を拒否、映画界を追放され、転向して証言をする、という経過をたどる赤狩りに翻弄された典型的な映画人だ。  脚本のポロンスキーはやはり同年の委員会に召喚されるが証言を拒否しハリウッドのブラック・リストに載せられる。1969年の『夕日に向かって走れ』までハリウッドの表舞台から姿を消す。原題"Tell Them Willie Boy Is Here"には監督自身の気持ちが込められているといいだろう。ウィリー・ボーイは主人公の保安官(ロバート・レッドフォード)に追われるインディアンの青年。ポロンスキーは1999年に亡くなるが、その死亡記事では同年アカデミー賞エリア・カザンが特別賞を受賞する時に抗議した事が触れられていたと言う。
 主演のジョン・ガーフィールド(1913‐52、本名ジェイコブ・ガーフィンクル)は『紳士協定』(1947)でグレゴリー・ペック扮する主人公の友人(ユダヤ人)を演じる。映画の監督が、1952年の非米活動委員会で司法取引をして仲間を売ってしまったエリア・カザンというのも皮肉と言えるか。ガーフィールド自身51年非米活動委員会に召喚され証言を拒否する。委員会は何も立証できないままガーフィールドをブラック・リストに載せ、ガーフィールドは52年心臓発作で39歳で亡くなる。
 このマッカーシズムの犠牲となった3人の関わった映画"Body and Soul"がジャズの名曲となった。となるとまた一つの物語が生まれるが、そううまくはいかない?ジャズの名曲は別のもののようだ。