ビリー・ワイルダーとベルリン

 11月のシンポジウムと2月〆切の論文に加えて、12月もシンポジウムのパネリストになってしまった。スピリチャアル・ジャズとピンチョンとマッカーシーを同時に考えるのに少し疲れて、小林信彦の映画本で休養。
 小林信彦は『ヒッチコック・マガジン』編集長の時に来日したヒッチコック本人にも会っていて、また作品の分析も精緻で文章もよく面白い。その流れで、2冊あるビリー・ワイルダーの伝記を読む羽目に。モーリス・ゾロトウとシャーロット・チャンドラーの手によるものです。
 7月はじめにお年寄りの教養塾でアメリカ映画の話をした時に、ジョン・フォードヒッチコックワイルダーの映画のスティル(写真)をスライドで紹介しました。その時にワイルダーの作品群の多彩さに驚いた。とは言え、シリアス路線とコメディ路線ではありますが。
 それで2冊の伝記本を並行して読んでいますが、アメリカ文化と言うのはあらためて世界性を帯びているのだなという事でした。アメリカの代表的な映画監督がアイルランド系、英国人、そしてオーストリアユダヤ人(ワイルダー)なのですから。
 ワイルダーのハリウッドでの事については少しは知っているつもりでしたが、オーストリア・ハンガリー帝国に生まれ、ベルリンでジャーナリストから脚本で映画に関わる。1929年の『日曜日の人々』は監督がロバート・シオドマーク(『らせん階段』などのフィルム・ノワールの作家)、撮影助手がフレッド・ジンネマン(『地上より永遠に』などの監督)、共同監督がエドガー・ウルマー(やはり『恐怖のまわり道』などフィルム・ノワールの監督)、そして脚本がワイルダー、という錚々たるスタッフでした。
 この1920年代のベルリンは『キャバレー』で描かれた時代と世界でもありますね。『キャバレー』はイギリスの作家クリストファー・ィシャーウッドの「サリー・ボウルズ」(『さらばベルリン』所収)の別な作家による戯曲化のミュージカル化ですが。
 この文化的に洗練されたヨーロッパ中のボヘミアンが集まるベルリンでワイルダーはディートリッヒと友達になったり、一種のジゴロ(今のホストのようなものではなく、中年婦人の踊りの相方をする仕事の様です)をしたり、ジャーナリストするんですが、1933年ナチスが政権を取ると、ウィーン〜パリ経由でアメリカにわたります。母親と祖母は収容所で亡くなったらしい。
 ハリウッドのワイルダーも、面白い。『深夜の告白』で組まされたレイモンド・チャンドラーとの確執。その経験が『失われた週末』を作るきっかけとなるなど。酒癖の悪いチャンドラーは『見知らぬ乗客』でヒッチコックとも組んであまりいい印象を持たなかったようです。写真は『アパートの鍵貸します』のシャーリー・マクレーンと。