無表情というテキスト

過去を逃れて』(Out of the Past, 1947)を再見しました。前から持っているDVDで、見ているうちに前にも見たことが思い出されてきました。でもなかなかいいフィルム・ノワールでしたね。監督はジャック・ターナー。フランス系の人で『キャット・ピープル』(1942)の監督でもあります。『キャット・ピープル』は1981年ポール・シュレーダー監督、ナスターシャ・キンスキー主演でリメークされました。ポール・シュレーダーは『タクシー・ドラィバー』の脚本を書いたり、フィルム・ノワール論を書いたり、フィルム・ノワールと関係の深い映画人ですね。
 リメークと言えば、支部大会の懇親会の2次会で、『過去を逃れて』の事が話題になり、僕は『テキーラ・サンライズ』がそのリメークですよね、としたり顔で言いました。後で確認してみると『カリブの熱い夜』(1984)がそうでした。このリメーク版にはオリジナル版のファム・ファタールを演じていたジェーン・グリアが、ファム・ファタール(レイチェル・ウォード)の母親役で出ていた。
 さて『過去を逃れて』ではジェーン・グリア演じるキャシーの酷薄そうな美貌もいいけれど、彼女に翻弄される私立探偵ジェフ(ロバート・ミッチャム)のスリーピー・アイがアンニュイでよかったです。例えば同様に翻弄される賭博場のオーナーを演じるカーク・ダグラスの明確な演技も悪くないけれど、タフガイなんだけれど、キャシーに惹かれ、裏切られ、でもまた信じたくなってしまう迷いがこの時30歳のミッチャムによって無表情にでも巧みに演じられています。この無表情というテキストは、様々な解釈を呼び込む。無表情という演技は、ミニマムな表情の変化で感情を表現できる。微細な差異で感情の変化を表現するから、観客は常にその変化に注意をしていなくてはならない。
 二人が出会うアカプルコの太陽の下よりも、サンフランシスコの夜の中での探偵の彷徨の方がフィルム・ノワールの典型を見るようで心地よいです。