『ノワール文学講義』書評

アメリカ学会会報』(No.186、2014年11月25日)に書いた書評が同学会のHPでなかなかアップデートされないのでここに少し省略して掲載します。
ハードボイルド小説の代表作を精密に読解した『「マルタの鷹」講義』で注目浴びた諏訪部浩一氏による本書は、「ノワール小説」というジャンルについて、マニア的な熱意とアメリカ文学研究者ならではの視野と緻密な考察によって、ポピュラー・カルチャーに関する本としては類のないものとなっている。
まず1930年代初期ノワールの見取図を示す「黒い誘惑――初期ノワールについて」では、主人公が(1)閉塞した状況に置かれ、(2)そこからの脱出を試み、(3)それに失敗する物語という「ノワールの構造」を抽出してみせ、それぞれ(1)リアリズム、(2)ロマンス、(3)悲劇という、小説のジャンルそのものの分類につながる点を指摘する。
次章でのノワール小説の起源が自然主義文学にあるとする指摘は、確かにアメリカ文学研究者ならでの視点で新鮮でかつ説得力を持つ。さらに1930年代に代表作が多く書かれているノワール小説が1940年代になってフィルム・ノワールとして映画化されるという「時間差」を引き起こした「ヘイズ・コード」(映画制作倫理規定)が、逆に性や暴力を直接描かない抑制的な語り口を生み出し、原作以上に主題が引き出されているという映画化の評価も興味深い。
探偵(サム・スペード)がファム・ファタールの誘惑に打ち勝ちつつ母的な女性(秘書)に拒絶される事で、父権的な秩序の機能不全を露わにし、フィリップ・マーロウのホモ・ソーシャルで孤独なミソジニストとしての態度につながると分析する。
最後の3つの章は、ロマンス対リアリズムへの葛藤から、探偵を主人公とするリアリズム小説とも言える傑作ハードボイルド小説を書いて一つの文学ジャンルを確立したハメットの成長と停滞を描いている。つまり『ガラスの鍵』において、純文学の系譜の中に位置づけられる作家として成長したために、結果としてロマンスとしてのハードボイルド小説を書き続ける事が不可能になった経緯が仔細に語られている。
アメリカ文学史という大きな枠組みの中だからこそ、自然主義という起源やロマンス対リアリズムという構図を指摘できたと言える。そしてハードボイルド小説のロマンス対リアリズムをどのように止揚するかがノワール小説の条件でもあり、それはノワールという映画と小説を含む横断的な、形式を脱構築したジャンルへとつながる。