若手翻訳者と孤児

 北海道支部のF君がまた新訳を出しました。『紙の民』と同じ白水社から『デニーロ・ゲーム』。
 『紙の民』が南米からアメリカへ越境するメキシコ人父娘を主人公とするポストモダン的な仕掛けが面白い作品でしたが、今度は一転してレバノンベイルートを舞台とする戦火の少年二人の友情・戦争・暴力そして死の物語です。
 共通するのは英語で書かれている事だけだろうか。『デニーロ・ゲーム』に出てくるアメリカはイスラエルを支援する国家としてのみの様です。
 作者のラウィ・ハージはレバノン生まれ、キプロス、ニューヨークを経て、モントリオールで大学を出て、小説を書き、住み続けているようです。
 さて『デニーロ・ゲーム』は内戦下のベイルートキリスト教住民地区に住むアルメニア系の少年バッサームと幼馴染の(ロバート・)デニーロというあだ名を持つジョルジュの激しく、刹那的な青春物語と言えそう。
 この作品もまた「孤児」の物語と読めるかなと思ったのは、バッサームの父親はすでに戦争で死んでいて、母親も物語の途中で砲弾の犠牲者となって亡くなってしまう。ジョルジュの方はフランス人の父親は最初から不在で、母親も癌で死んでいる孤児である。
 ジョルジュの方はともかく、バッサームは戦争孤児。孤児たちの行動は親という規範がないの無目的・野放図になる傾向があるが、それに戦争という背景が加わると、さらに暴力と刹那(将来の見えない世界)が加速する。レバノン難民虐殺(歴史的事件を模したと思える)に参加して壊れてしまったジョルジュにロシアン・ルーレット(これがデニーロと言うあだ名の由来、『ディア・ハンター』を連想させる)を挑まれたバッサームは一瞬のためらいの後引くが弾は出ない。しかし次のジョルジュが何のためらいもなく引いた引き金は銃弾を引き当て、ニック(『ディア・ハンター』です)のように頭から血を流し、友人に抱きかかえられながら死んでしまう。
 物語の最後は、バッサームがジョルジュの父親に会いにパリへ行くが、父親はすでに死んでいて、そのフランス人の父親がユダ系であってイスラエルモサドと関係があった事を知らされる。このあたりの周到な伏線の是非については異論もあるが、戦火の友情そして死がスピード感と詩的な、そして細密な描写であっと言う間に読み終えてしまいました。