ドリトル先生と戦争

ケストナーについては『飛ぶ教室』をはじめとして時々書いていますが、小学校高学年から中学にかけて『ドリトル先生』シリーズも愛読していました。動物語を話す医師という設定、イギリスのポンドやシリング、ペニーと言った初めて耳にする貨幣単位、出入りする「猫肉屋」のマシューの如何わしさ、ロンドンっ子雀のチープサイド(Cheapside)の下町訛り、「オシツオサレツ」という不思議な動物、「松露」という聞いた事ももない食べ物など、子供にとっては興味津々たる物語であった。これも後から知るのだけれど著者自身によるイラストもほのぼのとして楽しい物でした。岩波書店のシリーズを小学校の図書館や移動文庫で読み続けました。今考えると中学校は図書室しかなく、小学校の方は図書館的な建物と言うか部屋であったような。そして大きめの段ボールで町内を巡回するような移動文庫の存在も楽しみでした。もしかしたら巡回と言うよりも、町内の班長とか町内会長のような家に置いて、町内の人が利用するようなシステムだったかも知れません。
作者のロフティングは1886年イングランドに生まれ、1904年に渡米してマサチューセッツ工科大学(MIT)へ入学するも中退して帰国。ロンドン・ポリテクニック(現ウエストミンスター大学)への編入し、1907年卒業。アメリカやカナダで鉱山の測量に、キューバやナイジェリアで鉄道建設に従事。1912年にアメリカ人女性と結婚してニューヨークへ移り住み、新聞や雑誌に短編小説やコラムを投稿する傍らイギリス情報省の駐在員を務めたようです。
第一次世界大戦でイギリス陸軍のアイリッシュ・ガーズ連隊の志願兵として従軍したのですが、なぜアイリッシュ・ガーズ連隊なのか気になります。ロフティングはイングランド人の父親とアイルランド人の母親との間に生まれているけれど、父親がアイルランド系だったという説もあるらしい。戦場で負傷をしてアイルランドに送還され、1919年アイルランド独立戦争のために再び米国への移住を決意する、とさらっとウィキに書かれていますが、どうもイングランドアイルランドアメリカの関係が気になります。
さて従軍したロフティングは、戦場で動けなくなった軍用馬の射殺処分に心を痛め、その体験が「ドリトル先生」の元となったらしい。この第1次世界大戦は大量破壊兵器による多くの兵士が死傷した最初の大戦でしたが、同時に馬が騎馬と輸送に重要な存在でした。スピルバーグの『戦火の馬』でも馬の美しさと人間の愚かさが対比的に描かれていました。「ドリトル先生」シリーズの時代設定が1840年代からビクトリア朝時代というのも、戦争に対する間接的な批判なのかなと。
 黒人やインディアンの社会文化に関する描写について不適切であるとして、アメリカでは長く絶版状態が続いたこと、また母国イギリスでは「ロフティングは米国の作家」と言うイメージが強いためか、「過去の作品」として扱われることが多く、結果的には現在は米英よりも日本や東側諸国において人気が高いらしい。特に英米文学では、アメリカからイギリスに帰化したヘンリー・ジェームズやT・S・エリオット、逆にイギリスからアメリカに移住したW・H・オーデンやクリストファー・イシャーウッドなどがいますが、それぞれが広義に英文学としてしまえば、英米どちらの作家かいう事も明確にしなくてすむかも。でもこれら作家・詩人の移動の理由は宗教・性的志向などによりますが、ロフティングの場合は戦争と民族が大きな要素になるかも知れない。
 第1次世界大戦がはじまった1914年から100年後の2014年の終わりに。