短編小説のココロ

唐突だけれど「アメリカの短編のココロ」って「家族」だと思う。でも執拗とも言えるほど「家族」にこだわるのは、そこに「家族」がないからかも?「家族」が自明のものとしてその社会・文化に存在するのならそんなに「言い募る」事をしなくともいいと思うほど、家族が描かれる。つまり「不在の家族」を捜し求める、または構築しようとし続けるアメリカ人というイメージ。
 離婚が多いのも、養子などの擬似家族的なあり方も同じ理屈かな。理想を追い求める。だめならチャラにしてリセットする。それはアメリカと言う人工的な国家の縮小版とも言えそう。
さらに家族の問題の根底には性があり、そこでの葛藤には「人間とは」とか「世界とは」という問いが出てきて、それはそのまま人生における救済とか贖罪のテーマにつながる。そこでのテーマは誕生−性−死という人間の生そのものだと思う。肉体的な愛から家族が生じ、そこで男女の、世代間のコミュニケーションとディスコミュニケーションが発生し、葛藤と救いと赦しと憎しみが・・・
 郊外派とかサバービアンと言う郊外に住む中流階級の白人を扱っているジョン・チーヴァーの「回復」という作品を訳そうと思っていたのですが、40枚くらいの短編の中で、日常の秩序が壊れそれに困惑しながら慣れていく。そして別のファクターが入り込み、最後に大団円。
 短編は日常の非日常的な瞬間を描くと言われるが、それは日常の秩序を壊すものである場合もあるし、小さな啓示と呼んでもいいような至福の瞬間の場合もある。チーヴァーの作品では、短編の中にいくつもモメントが埋め込まれていて、ぎゅっと圧縮された短編を越えた作品を読んでいるような充実感がある。