最後のハリウッド・テン

 リング・ラードナー、Jr(1915‐2000)の『われとともに老いよ、楽しみはその先にあり』(清流出版、2008)を読むと、ハリウッド・テンの最後の生き残りであった彼は比較的穏やかな晩年を迎えたようだ。高名なスポーツ・ライターを父に持つジュニアはキャサリン・ヘップバーン主演の『女性NO.1』(1943年)でアカデミー脚本賞を獲得する。その後戦後のアメリ反共主義のヒステリー、マッカーシー旋風に巻き込まれる。
 1930年代欧米のインテリの若者たちは、ファシズムへの反感から共産主義に傾倒し、入党した者も多い。リング・ラードナー、Jrもその一人だったが、スターリン独裁政権に嫌気がさしコミュニズムからも遠ざかって行った多くの一人でもあった。イギリスの政府高官が実はソ連のスパイだったというのもオックスブリッジにコミュニズムが流行していた結果に他ならない。
 そして戦後の冷戦の中で赤狩りが万延するが、不幸にもハリウッドのインテリである監督や脚本家たちがターゲットとなる。その中で1947年非米活動委員会に対し黙秘権を行使し、その結果議会侮辱罪で刑務所に入った10名の映画人をハリウッド・テンという。実はこの時点ではまだ悪名高いマッカーシー上院議員はまだ登場してないが、彼の活躍?していた期間(1950‐54年)を含めて、1947‐54年あたりがマッカーシズム赤狩りの時代と呼ばれている。
 最も有名なのはダルトン・トランボ。『黒い牡牛』、『栄光への脱出』の脚本、『ジョニーは戦場へ行った』を監督する。リング・ラードナー、Jrは復帰後『マッシュ』の脚本が有名。
 赤狩りの嵐の中で節を曲げた映画人として有名なのがエリア・カザンだ。非米活動委員会の尋問で卑劣なのは知っている共産党員の名前を挙げさせる点だった。"Name a name"(名前を挙げなさい)という密告と裏切りの奨励がハリウッドを分裂させる。
 この本の原題”I'd Hate Myself in the Morning"は、(委員会の言う通り知っている共産党員の名前を言ったら)「後で自分が嫌いになるよ」という意味で、リング・ラードナー、Jrは密告をせずに潔く獄につながれた。R・ブラウニングの「われとともに老いよ、楽しみはその先にあり」は第9章のタイトルにしか過ぎないのに、翻訳では何故かこれを本全体の題名とした。でもそれでこの本を手にした僕のような読者もいるので妥当な作戦だったかも知れない。

写真は『マッシュ』(1970年)のトラッパー大尉(エリオット・グールド)、ホット・リップス少佐(サリー・ケラーマン)、そしてホークアイ大尉(ドナルド・サザーランド)。