履修訂正の功罪

 「学生が来ない?!」の理由はやはり学生が履修した科目を放棄(諦めた)事によりらしい。もう少し他のクラスの例と、履修者の声も聞いてみたいのですが。
 今までなかった事が時々起きています。前項の「成績照会」も杜撰なシラバスを書いた僕に責任があるけれど、その点をついて評価の変更を要求してくるとは。
 さて履修訂正については、今年経済学部も初めて、本学では全学部・ほほ全科目2学期のはじめに履修訂正ができるようになって来ています。もちろん、訂正の科目数や、削除のみとか、削除と追加をワンセットで認めるとか条件は異なるようですが。
 で、語学は履修者数や学科単位、またはプレースメント・テストによってクラス編成をしているので、履修訂正の対象外となっています。例えば30数名のクラスで、2,3名くらいならいいけれど、今回の様に半分近くいなくなるとこれは大きな問題となります。ま、授業をする側からいうと15名くらいの人数で教えやすいですけれども。
 この履修訂正は、やり直しがきくと言う風に現在の若者のメンタリティには合っているのかも知れませんが、サービスを教育的配慮と勘違いしている大学の後退の一例のようにも思えます。今年から卒業に関わるケースについては、教務委員会で認めれば語学の履修訂正もありとしました。その程度の変更でとどめるべきかなと思います。
 大学によっては「上書き」のようにすでに単位を取った科目の取り直しが認められる例もあるようです。つまり「可」を取った科目を「良」や「優」を目指して取り直す。GPA(履修した科目の評価による平均点)が一般的になり、これが就職にも使われるようになりつつあるからでしょうか。
 そうすると4月に時間割とシラバスから1年間の授業計画をきちんと作ると言う作業が相対的に無化していく事になりはしないかと懸念します。この辺り深刻な話題なので難しい言い回し?になりつつありますが。大変な思いをしている人に向かって「やり直しができるよ」と励ますのと、あまり考えようとしない学生(すべての学生がそうだと言いませんが)に向かって「やり直しができるよ」と言うのとは意味合いが違って来るようにも思えます。
 簡単にリセットが認められるような制度のもとでは、学生は最初の計画をちゃんとしないようになると考える方が普通だと思います。大学が学生に与えられるのは、表面的なサービスではなく、きちんと考える契機だと思うのですが。