イエーツの引用

イエーツの詩で最も有名と思われる「イニスフリー島へ」論の査読を頼まれました。まったく専門ではないのですが、学部には英文学が1名(この人が執筆者)、米文学が1名(僕です)なので仕方なく。執筆者はイエーツの専門家で「イニスフリー島へ」についての書誌的な論考でした。専門外ですから査読と言っても形式的なものですが、面白かったです。  
アングロ・アイリッシュアイルランドに生まれたイギリス人)であるイエーツは、画家である父親の仕事の性もあって、何度もイギリス(主にロンドン)とアイルランドを往復します。そんなイエーツの故郷、スライゴーの近くにあるギル湖に浮かぶ小島イニスフリー島に対する思いは、事実と虚構(記憶)の間を行き来し、イエーツの物語「イニスフリー島へ」に結実する経緯が、当時のイギリスの文壇の政治的な状況、イエーツ家の財政や家族のつながりなどとあいまって興味深い物でした。
この「イニスフリー島へ」がさびれたボクシング・ジムを経営する主人公フランキー(クリント・イーストウッド)によって何回か口にされる。映画は『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)。詩句は「今こそ起きて行こう、あの島へ。そしてそこに小屋を建てよう。…あそこなら少しは穏やかになれる。安らぎはゆっくりと訪れるだろう。」と言うものなので、望郷やノスタルジー以外に物語の最後に関係する安楽死もあるだろうか。
イエーツの決してよい読者とは言えない僕も、英文科の学生だった40年前は子供っぽい詩を書いていて英米の詩集は結構集めていました。その中にイエーツの詩集も数冊ありました。特に気に入ったのが『マイケル・ロバーツとダンサー』です
その中の”The Second Coming”(再来)の中の”the widening gyre”は『拡がる環』としてスペンサー・シリーズの第10作目に使われています。その前後の「拡がる環の中で、鷹は鷹匠の言葉を聞かず、事物はばらばらになる。中心は保たれず、無秩序だけが世界にはびこる」という世界の崩壊を示唆する世紀末的な詩句が印象に残っていました。
その詩の最後の行が”slouching to Bethlehem”でこれがジョーン・ディディオンの1960年代のカリフォルニアを描いたエッセイ集のタイトルに使われます。翻訳は『ベツレヘムに向け、身を屈めて』。この「猛々しい獣がベツレヘムに向け身を屈める」という詩句の獣が執筆時の1919年の共産党の出現か、ホロコーストや原爆の予言か、今でも様々に解釈されているようです。作家のディディオンは夫と組んでの映画制作や脚本でも有名です。因みに「ベツレヘムに向け、身を屈めて」というジョニ・ミッチェルの曲もあります。
また詩人・作家のデルモア・シュワルツの「夢の中で責任が始まる」は授業で使って見たいと考えていた評価の高い短編で、このタイトルは村上春樹の『海辺のカフカ』にも引用されています。これはイエーツの1914年の” Responsibilities”の冒頭でこれ自体が古い戯曲からの引用と言う体裁を取っています。
そしてコーマック・マッカーシ―の”No Country for Old Man”は「ビザンチウムへの船出」からの引用。2007年コーエン兄弟が映画化していますが、邦題の『ノーカントリー』では何のことか分からない。「ビザンチウムへの船出」は『塔』(The Tower、1928年)に収録されています。1923年にノーベル賞を受賞した後ですが、詩境は深みを増し、老境への思いを表出しています。若さや命の営みの饗宴とは無縁の老人は無視されるような世界を離れて、ビザンチウムへと旅立つ歌です。
 2012年イエーツの故郷アイルランドのスライゴー生まれのニール・ジョーダンが『ビザンチウム』という映画を撮った事も付け加えておきます。