サンバとボサノバ

長谷川きよしバーデン・パウエル。僕のサンバ体験は17歳の高校生の時に初めて買ったLPが長谷川きよしの『ひとりぽっちの詩』で、冒頭の「別れのサンバ」やアダモの「ブルージーンと革ジャンパー」など佳曲揃いだった。
バーデン・パウエルの方は「悲しみのサンバ」を含む『ポエマ・オン・ギター』を買ったのは大学生のときだろうか。いずれも後から聞くボサノバとは違う、シンコペーションの効いた早いパッセージが印象的な音楽だった。
バーデン・パウエルのヴィニシウス・ヂ・モライスとの出会いは、ボサノバを創始したヂ・モライスとアントニオ・カルロス・ジョビンの出会いと同じくらいブラジル音楽にとって重要な意味を持つと言われています。特にパウエルはブラジルと言う土地、黒人の血、ジャズとの共演、クラシックの素養など複合的な音楽世界を持っている。
サンバは4分の2拍子のダンス音楽で、その誕生は19世紀の終わりに奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が上陸したブラジル北東部の港町バイーアとの説が有力である。つまりアフリカの音楽(宗教+ダンス)とヨーロッパの音楽が混ざり合ったもの。と言う事はジャズや他のラテン音楽と同様の出自を持つことなる。
そしてボサノバは、大人しめのサンバといった感じのサンバ・カンソンを経て、1950年代後半から1960年代前半には、白人の中産階級を中心に心地よいリズムと洗練された内容のボサノバになっていく。これは音楽がポピュラー化する時の常道。つまり人種・階級を横断する時に、音楽も内容も洗練されて受容しやすくなるわけです。そしてやはり同質の白人ジャズと結びついて、アメリカと世界(日本も)へと広がっていった。その詳細は次項で。