メタ好き

鮨の名店を訪問する早川光さんの番組を見ています。「次郎よこはま店」を1年かけて月ごとのネタの移り変わりを追った『江戸前ずしの悦楽』(晶文社出版、1999)の著者で、映画監督、漫画原作者です。数寄屋橋の次郎の出身の水谷さんが独立して始めた横浜関内の次郎よこはま店には、結婚前の奥さんが横浜に住んでいたので何度も行きました。僕らは4千円くらいのコースでしたが、カウンターで早川さんらしい人がお好みまたはお任せで食べていて羨ましく思った記憶があります。
 さて鮨そのものよりも「鮨について」書いた本が好きかも知れない。それと「鮨について」を描き語る映像も。もしかしたら「〜」そのものよりも、「〜について」の方が好きかも。これって「メタ」志向です。「メタ」って、ギリシャ語のmeta「〜を越えた」、「〜を含む」等の意味の接頭語で、例えばmetaphysicsは物質的なもの(physics)を超越した世界についての学問を「形而上学」といいますよね。
さらにメタ言語と言うと、言語についての言語、これは言語学になります。 映画についての映画、映画界や映画人を主題とする映画をメタ映画と言います。これも結構ある。ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』(1950年)、フェリーニの『8 2/1』(1963年)、トリュフォーの『アメリカの夜』(1973年)、そしてアルトマンの『ザ・プレーヤー』(1992年)などですか。またメタフィクションは少し違って、フィクションというジャンル自体を外側から見るような視点を含むものです。フィクションの世界に入り込むような読者に対して、これは作り話なんですよと気付かせる。作者が登場して物語に言及する、などなど。
で最初に戻って、「〜」そのものよりも「〜について」の方が好きというメタ志向は研究者に向いているかなと思う反面、「〜」そのものを享受できないとしたら少し寂しいとも思います。一番いいのは、「〜」そのものと「〜について」の両方を好きだと言うのでしょうか。ジャズなら演奏自体を楽しみながら、同時に個々の楽器の動きについても理解できればいいですね。