夢やぶられて

 昨年95歳で亡くなったバッド・シュルバーグのThe Disenchanted(1951)の翻訳『夢やぶられて』を読むとスコット・フィッツジェラルドの無残さが印象に残る。このブログでも昨年の10月にふれたMGMの『冬のカーニバル』(1939)のロケハンというか取材旅行の顛末が若干27歳の若手脚本家の目に映った元大作家(と言ってもまだ40代前半なのだが)を中心に描かれる。この作品でフィッツジェラルドの晩年のイメージが定着したようだが、トム・ダーディスの『ときにはハリウッドの陽を浴びて』でも描かれている。この時の深酒と醜態により仕事が減り、人と会わなくなったフィッツジェラルドはさらに酒を飲むようになり『ラスト・タイクーン』を未完のままに1940年43歳で亡くなってしまう。
 12月の支部大会でのシンポジウム「LAを描く文学その他」(勝手に自分でつけたタイトルです)の準備をしていて、シュルバーグの『何がサミーを走らせるか』か『夢やぶられて』を論じようかなと思っていましたが、前者の方がいいかな。