脚本家の給料

 前項との関連で『ときにはハリウッドの陽を浴びて』の中のナサニエル・ウエストの部分を再読する。彼は弱小スタジオのリパブリックから中堅のRKOに移り、脚本家としての週給が350ドルだったという。これはフィッツジェラルドの25,00ドルやフォークナーの2,000ドルに比べてもかなり低いが大方はこの程度の報酬だったようだ。
 しかしこの金額が現在の貨幣価値からするとどうなるかという事に関心を持ち調べてみたがどうもわからない。
 1930年代の1ドルは大恐慌の時代でもあり、変動が激しかったようだ。1ドル=1〜5円くらいのようなので3円として考えてみた。当時の日本のお米10キロが2円50銭。大学卒の教員の月給が150円として、現在は18万から20万くらいなので、1ドルは現在の3,000円くらい。とするとフォークナーは週600万円も稼いでいた?いくら不安定な仕事は言え、この計算はどこか間違っている?!
T三菱UFJ銀行のW君、海外出張から帰ってきてこれを見てたら教えて。ついでに。金曜日にやきとりJでA君に会いました。偶然W君の奥さんのK子さんに地下鉄で会ったそうな。ご主人が出張中で、一人住まいのお母さんを見に戻っていたそうな。お盆にはまたミニ・クラス会を大通りビア・ガーデンでやりましょう。(何か個人的なメールになってしまった)。