カイロスの唄

 眼をすえ 唇をかみしめ/わたしは通りすぎる/不動の万象の間を
 たれもわたしの近づくのを知らない/長い髪をなびかせて/わたしはひとつの速さである
 『花火』(1956年)に収録されている多田智満子の「カイロスの唄」の冒頭です。フランスの思想関係の翻訳も多い詩人だが、「オルぺウス」や「オデッセイア」などの詩にも明らかなようにギリシャ的な世界を歌う事が多い。
 ギリシャ人は「円環する」とか「反復する」というように時間を神話的に対象化していた。しかしヘブライキリスト教的な時間観は「始め」と「終わり」によって区別される直線的なものとして表象される。
 しかしいずれの時間感覚においても、「カイロス」は「好機」(proper time)と訳されるように、クロノスの間に充填される、意味のある祝祭的な瞬間を指すのだろう。
 この詩はこのように終わる。
 足をはやめてわたしは過ぎる/万象のなかに/悔恨だけをよび起しながら
 けれども人は知らない/好運(カイロス)の名あるわたし自身が/ひとつのはしりゆく悔恨であるのを