Ambarvaliaからかえらない旅人へ

 (覆された宝石)のような朝/何人か戸口にて誰かとささやく/それは神の生誕の日
 と書いたのは昭和8年(1933年)の『Ambarvalia』。それまでの憂愁と寂寥の日本的詩的世界とは異なる、明るい、透明なギリシャ的な言語空間を描きだした。それにとびきりアヴァンギャルドでシュルレアリスティックな表現もスクランブルして。
 でも戦後の『旅人かえらず』では奔放な詩想は影をひそめ、東洋的な寂寥感を漂わせる。がそこは西脇順三郎。人間の孤独と寂しさをセピア色に、諧謔とダンディズムとぺダンティックな衣装(意匠?)をまとって登場する。
 旅人はまてよ/このかすかな泉に/舌を濡らす前に/考えよ人生の旅人/汝もまた岩間からしみ出た/水霊にすぎない
 そしてその後昭和28年の『近代の寓話』、『第三の神話』、『失われた時』へと詩想とレトリックを時には深め、時には諧謔と気取りを演じ、そして時には東洋的枯淡の世界をも表出してみせる。
 筑摩書房の全集(全12巻!?))もあるのに、慶応義塾大学で出している『西脇順三郎コレクションⅠ』も買ってしまいました。これってナツメロと同じ様に、本当に詩が好きなのか、詩が好きだった若い頃の自分を懐かしんでいるのか分かりません。でも多分、後者だろうなという程度の自己分析はできるような気もします。