家族の秘密

 たいした秘密ではありません。
 2013年2月16日にも書きましたけれど、追加的に。
 母方の父親は鳥取から道北に入植して、母は中川郡名寄村で生まれています。名寄のおばさんという人もいました。その後でしょうか稚内で馬具商を営んでいましたが、母が庁立高等女学校に進学した前後に札幌に移ります。
 僕は38年間務めた北海学園大学のそばの豊平小学校〜八条中学に通いました。小学校のすぐそばに200〜300坪の土地があったようです。というのは豊平から西野に移るときに220坪だったのですが、お隣の土地はもともとうちが住んでいたので、切り売ったのでしょう。
 土地はあるけれど、お金はなかったような。特に父の代になってから。僕はそこで生まれました。
 さて父の方は山形県酒田市郊外の余目という土地の農家の3男で、どのような経緯で札幌に来て母と出合ったか不明です。母が一人娘で、婿養子を取ったので、母の兄弟や父の兄弟からその辺りの話を聞く機会がありませんでした。
 子供の僕と兄だけなので、これで娘がいれば両親のなれそめを聞きだしていたかも知れません。 
 そこまでは前に書いた事の補遺ですが、先ほど戸籍謄本で祖父の2番目の妻の苗字が池田と知って少し謎解きをしようかと思いました。母の母が義理だった事は知っていましたが、旧姓池田というのははじめて知りました。
 偶然というか婿に入った父の旧姓と同じ。もしかしてと思いましたが、書類を良く読むと母の義理の母は石川県の池田さんでした。そこで山形の池田家とはいったん切れます。単なる偶然。
 でも戸籍謄本って、抄本と違って濃くてドラマがありますね。少し言いずらいですが、両親は一度離婚をして僕が生まれた前後で同じ相手と再婚しています。しかも父が本城家の養子なので離婚と同時に養子縁組を解いています。当然かも。そして母の両親がなくなったあたりで復縁しているのもいろいろと考えさせられます。
 豊平から西野に引っ越したのも、何か事情があったんでしょうね。
 母が亡くなる前に聞いておけばよかったと後悔しています。いい事もそうでない事も含めて年取った母の話を聞きたかった。でもいちばん後悔しているのは、きちんと感謝の気持ちを伝えなかった事です。