『君たちはどう生きるか』再び

2011年4月22日に関川夏央さんの『家族の昭和』について書いています。そこでは向田邦子の描く戦前の昭和の日本と対比して、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(1937)を取り上げている。昭和11年(1936年)中学校1年のコペル君は戦前の昭和に生きる少年です。
 『世界』の初代編集長で、昭和を代表する進歩的知識人であった吉野源三郎のこの児童文学では、聡明な少年の身近な社会の経験が、父親のいないコペル君の保護者代わりのおじさん(24,5歳の帝大卒)によって甥へのノートとして大きな視点から見直される。
 これが去年漫画化されて100万部をヒット作に。そのもう一人の作者である漫画家の羽賀翔一さんのインタビューが今朝の朝日新聞の「耕論」に出ていました。再来週の「アメリカ文化論」が、3月の最終講義とは別の本当の最後の講義になるので使おうかと。
 メインは「アメリカ文化」を基本的にポップなカルチャーとしてとらえる話をまとめとしてするのですが、1本の話では90分持たないので、最近は別のテーマで30分くらいの話を用意すると60分+30分で学生の集中力にはちょうどいい長さ・構成となります。
 で羽賀君(31歳)の話は、メンターとしてのおじさんにふれていました。若者が悩んでいる時に正しい道を示してくれる、または正しい道に自分が進むための苦しみがなんのためか教えてくれるメンター。これはおじさんでも先輩でも、本でも漫画でもいいんですね。指導者と言うかアドバイザー。または上位自我。これは少し違うかな。
 おじさんと言えば、ぼくはすぐ「寅さん」を連想してしまいます。制度としての親とは異なる視点を子供に提示してくれる叔父さんの存在は、教条的な親の指導とは異なる、一種無責任な自由なアドバイスが重要な局面はけっこうあると思います。寅さんの場合は、真面目な親にはできない甥の満男への恋愛指南とか。
 親や教師の指導というのは効率的な最短距離を目指す事が多いの対して、叔父さんのそこから離れて自分で考えさせる幅や余裕があると思います。
 お正月の食卓にはみかんが似合う。南天も再登場。