声の力とコントロール

時々YouTubeで歌手の持ち歌のいろいろなバージョンと、スタンダードのいろんな歌手の歌い方を比較して聴いています。
 圧倒的な声の力と魅力を持つ井上陽水の現在の歌い方について、オリジナルのレコードの方がいいと思います。自作である事と、同じ歌い方をしたくない気持ちのせいか曲をいじりすぎる。自在に歌える事がプラスには働いていない。
 圧倒的な声の例では、尾崎紀代彦は、カントリー出身のせいか、ストレートに歌う。一方、布施明の方はカンツォーネ的な朗々とした発声の方はまだいいとして、シャンソンの方は演劇的な身振りや歌い方が少しわざとらしい。また時々フルートやギターを持ち出すのも、自分の声とマイクだけでは手持無沙汰なのだろうか。陽水の弾かないギターも同様。
 また陽水のように自作の歌唱と、布施明のように他の人が作った曲を歌う歌手とでは、表現に対するスタンスが違うような気もします。自分の曲ですと自由に歌える。歌詞を少しぐらい変えても、メロディーのアドリブ的な変更も勝手にできます。でも他人の曲ですと歌詞とメロディーを遵守した上での歌手の表現と言うので、演技的にオーバーになる歌手もいると言う事でしょうか。
圧倒的な声の迫力ではないけれど、小椋桂の声もまたよく届くソノリティを持っていると思います。低く、呟くように歌っても、聞き手に届く歌い方のような気がします。それは声室と歌う姿勢の両方によるものでしょうか。
 20代から30代の中森明菜の低音もまた丁寧な低い響きが、聴き手の心に届く。歌詞の解釈もまた、他人の楽曲のカバーでも、オリジナルよりもいい場合も多いですね。