ジャック・ロンドンの伝記

支部仲間が翻訳したジャック・ロンドンの伝記『アメリカン・ドリーマーズ』(明文書店)の書評を頼まれました。それでこの500頁を超す新刊翻訳は訳者から献本されていたのでお礼のメールを出していなかったので、ここはきちんと読んでお詫びの代わりにしようと。
 例によって周辺からじょじょにすすめて本丸?に向かおうと迂回作戦を取る事に。それはジャック・ロンドンの伝記の定番と言える『馬に乗った水夫』(アーヴィング・ストーン、1938年、翻訳1977年)から初めて、自伝的小説の『ジョン・バーリーコーン――酒と冒険の自伝的物語』(1913年)、『マーティン・イーデン』(1909年、翻訳『ジャック・ロンドン自伝的物語』)も。『馬に乗った水夫』は面白かったです。あまり良く知らなかったジャック・ロンドンの短くも冒険に満ちた作家人生が分かりました。
そしてヘミングウエーなどに与えたアメリカ人白人男性の誇りと偏見の共通性も。でもヘミングウエーのようにお坊ちゃん上がりのマチズモとは違い、小学校を卒業してすぐにカキの密輸のリーダーになり、そして労働者、浮浪者、社会主義者のリーダー、南洋公開など、ある意味で本当の「アメリカン・ドリーム」を体現した稀有の作家だった分かります。
成功した作家となり、自分で作った船でハワイやタヒチに冒険旅行をして紀行文を書く。最後には夢に見ていたアルハンブラ宮殿を模した「狼城」(ウルフ・ハウス)を放火で失い、体調を壊して亡くなる。その生涯を『馬に乗った水夫』で概観しましたが、半ばで登場する2番目の妻チャーミアンとの関係に焦点当てたのが、『アメリカン・ドリーマーズ』で、副題が「チャーミアン・ロンドンとジャック・ロンドン」。作者はクラリス・スタッズ。実はスタッズ女史のホームページをのぞいてみると、小さい頃から自称フェミニストだった彼女はロンドンを「犬の話を書いた作家」としてしか認識していなかったようだ。
作家の伝記も、執筆の時代、イデオロギー、そして執筆者の専門・性別によってもずいぶんと違ってくると痛感しました。アーヴィング・ストーンが『馬に乗った水夫』を書いた1938年はまだ共産主義国家の負の部分が知られていなくて、社会主義アメリカでインテリの間で人気があった時代の伝記なので、社会主義者であるロンドンが描かれている。『アメリカン・ドリーマーズ』はフィッツジェラルドの妻ゼルダの様に、作家の妻で自分も作家であるような人物に先に興味を抱いたようだ。しかもゼルダと違い、ソロモン諸島の首狩り族と一緒にピストルを腰に携帯してニッコリ笑うような女性チャーミアンに対して、夫のジャックよりも関心を持った社会学者スタッズによって書かれた作家夫妻。
350頁頃に「狼城」(ウルフ・ハウス)を失うとある。でも全体で550頁もあるので、後はどんな人生がジャックに残っているのか。チャ―ミアンの人生を描くのだろうかと思っていたら、資料が150頁ほどありました。主要作品紹介、関係者一覧、訳注、文献リストなど。この伝記が発表されたのが1999年ですが、別な出版社からの初版は1988年。そしてこの大部の執筆には10年くらいかかっているので、1980年くらいの資料が中心となっているらしい。それでその後の研究に関する資料も訳には入れたようです。
 フェミニスト的な視点からの作家夫妻の伝記で、かつ作家ジャック・ロンドンの伝記としても重要だとあります。たぶん文学研究者よりも綿密な資料(手紙や日記)の扱いが伝記としての価値を高めているのではと納得。並行して3月の研究談話会の『ワシントン・スクエア』と自分の発表に関する『キャロル』も読んでいるので、インターテクスチュアルに横断的に読む事ができて面白かった。
 どういう事かと言うと、1850年代のニューヨークを描くイギリスに帰化したアメリカ人男性ヘンリー・ジェームズ、1900年前後の男性作家ロンドン、1950年代のニューヨークを描くハイスミスの、三者三様の作家人生と作品が交錯しつつ、ある意味を持つと。