2世と子役の生き辛さ
キャリー・フィッシャーが27日心臓発作で亡くなった。知り合いの複数のブログで言及されているので、追加的に。実は以前子役の成功と失敗について書きました。特にハリウッドで注目された子役が日本のわれわれが想像できないような、金銭・ドラッグ・アルコール・性などの誘惑にさらされている。成功と失墜って多くの場合セットになっているが、子役の場合はまだ善悪の判断ができていなかったりするので、大人よりもおぼれてしまうんでしょうね。
さて2世の俳優の場合もそう。前衛映画監督であるアンガーは『ハリウッド・バビロン』(1959)でハリウッドの醜聞をスキャンダラスに描きましたが、かなり嘘というかでっち上げというかフィクションも混ざっていたようです。でもこのような本が成立するほどにハリウッドは人間の欲望が誇大的に出現するような場所なんですね。
そのようなある種現代のバビロンとも言えるハリウッドという幻影工房の虚構に溺れてしまった子役・2世俳優にジュディ・ガーランド〜ライザ・ミネリ、キャリー・フィッシャー、そしてドリュー・バリモアがいます。
ジュディ・ガーランド(1922-69)は17歳の時『オズの魔法使い』(1939)で子役として有名になり、ミッキー・ルーニーとコンビを組んだミュージカル『若草の頃』(1944)やフレッド・アステアと共演した『イースター・パレード』(1948)の頃にはスターを働かせ続けるためにMGMも勧める覚醒剤(アンフェタミン)や睡眠薬(セコナール)に溺れて行きます。薬物中毒による自殺未遂・入院などでスタジを解雇され、一時復帰するのですが、47歳で自殺とも見られる薬物の過剰摂取で亡くなる。なんか略歴を記していても切なくなるような。
さて2度目の夫で映画監督のビンセント・ミネリとのあいだの娘がライザ・ミネリ(1946‐)。1972年に『キャバレー』で高い評価と名声をえるがアルコールと薬物中毒に陥ります。でも復帰したようで、よかった。スターになる前の1969年の『くちづけ』が初々しくてよかったです。この親子は子役の母親と、2世女優が少し似た様なプラスとマイナスの履歴をなぞるようにも見えます。
ドリュー・バリモア(1975‐)は父親・祖父・大伯父が映画創成期から著名な俳優一家の3世。1982年『ET』で主人公エリオットの可愛らしい妹役で有名になり、1999年製作総指揮・主演の『25年目のキス』でブレーク、その後も監督や主演など活躍をしているいい方の例です。でも、両親との確執、10代でのアルコール・薬物、異性との交遊(乱脈な)というハリウッドの子役・2世の無軌道ルーティンを経験しての復活の様で、大変だったろうなと想像します。
そして先日60歳で亡くなったキャリー・フィッシャー(1956-2016)はエディ・フィッシャーとデビー・レイノルズの娘。父親のエディ・フィッシャーはユダヤ系の有名歌手で、後にエリザベス・テーラーと恋に陥り、レイノルズと娘を捨てます。『スター・ウォーズ』のレイア姫で有名になった後、『ブルースブラザース』(1980年、ジョン・ランディス監督)で共演したジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイドらとドラッグに溺れていったようです。その薬?仲間のジョン・ベルーシは1982年に33歳で亡くなります。キャリー・フィッシャーの方はその体験を自伝『崖っぷちからのはがき』(Postcards From The Edge)に書いています。何ともリアルで素敵なタイトルですが映画化され、『ハリウッドにくちづけ』という意味不明な邦題がついています。
キャリー・フィッシャーは脚本家としても活動していますから、文筆の才能はあったようです。また自分の経験を相対化する意識も。でも心臓疾患で60歳で亡くなったのは、若い時の野放図な体験で体を壊したのではと推測します。合掌。