作られたヒーロー

昨日送られてきた『アメリカ学会報』の巻頭エッセイのタイトルは「変節者アティカス?」で、立教の後藤和彦さんの書いたものです。昨年アメリカで出版され評判になった『アラバマ物語』の続編について、実は『アラバマ物語』における正義派とされたアティカス自体が当時の南部の普通の白人だったので必ずしも変節した訳ではないと言う趣旨でした。
たまたまアメリカ文化論で「自分を(過剰に)守る」というコンセプトで、銃社会・訴訟社会の例としていわゆる法廷ものを取り上げ、『12人の怒れる男』や『評決』などと一緒に『アラバマ物語』も取り上げました。原作はハーパー・リーが1959年に出版し、映画化は1962年。男やもめの正義派弁護士をグレゴリー・ペックが演じ、娘のスカウトが語り手となります。このアティカス・フィンチはアメリカ映画協会によって映画で演じられたヒーローの第1位に選ばれます。
しかしハーパー・リーが『アラバマ物語』出版の前に書いていた後日談がいろんな意味で評判になりました。少し整理すると、今回翻訳の出る『さあ、見張りを立てよ』を1950年代に書いて原稿はそのままで、後から書いた『アラバマ物語』が出版されます。『アラバマ物語』の舞台は1930年代のアラバマ。そして『さあ、見張りを立てよ』の方は1950年代のアラバマとニューヨークです。あのアティカスがKKKの集会にも参加し、ニューヨークにいるスカウトは憤激します。
しかし『アラバマ物語』をよく読むと、アティカスは確かに黒人の被告の弁護をしますが、南部の普通の倫理観を持った男性として描かれている部分もある。つまり映画『アラバマ物語』の方がそのヒーロー性を強調する事で、ある種アメリカの男性の理想像として描かれてしまった。いわば「作られたヒーロー」としてのアティカスとも解釈できる。
つまり作者リーは、最初から1930年代の物語『アラバマ物語』と1950年代の物語『さあ、見張りを立てよ』を前後して執筆し、南部白人男性アティカスを正義感をもちつつ人種観としてはそれほどリベラルではない、当時としては普通の男性を描き、それが最初はヒーロー視していた娘から後には人種差別主義者として軽蔑されるようになる物語を描いていたと受け取れます。それが後から書いた時代的には前の作品が圧倒的に受け入れられ映画化されてアティカスがヒーロー化されていく中で、最初の作品を発表し辛くなったと推測されます。
今回(2015年)の発表時には、作家の代理人がビデオで刊行が著者の意図に基づくものであると表明したらしいですが、本人は2016年の2月に亡くなっています。テキストの具体的な比較は今度という事で。