ボヘミアンと破滅型刑事

ボヘミアンとはよく知られているように、芸術家や芸術家志望の人々、さらには制度や伝統にこだわらない自由な生活をしている者を指しています。元々は東ヨーロッパのチェコの一地方を指すボヘミアから来ています。つまりボヘミアに住むチェコ人やスラブ人のことですが、これがなぜ今のような芸術家(志望も含めて)や自由な人々を意味するかと言うと、フランスのジプシーがボヘミアからやってきた事から「ボヘミアン」=流浪の人、自由な生き方をしている人たちとなったようです。
文学や映画や音楽を好きな若者は、ほぼ誰でも一時期ボヘミアン的な生き方を目指すと思います。でもそれでは暮らして行けないので、正業というか給与生活者の道を選ぶわけですが、僕は大学院の4年間をある意味でボヘミアン的な生き方をしていたような気がします。もちろんその分大学院生としては落ちこぼれた訳で、修士課程2年のところを2倍の4年かけて両親には迷惑をかけてしまいました。でも後から考えるとその経験が文学の理解や、40代以降の映画や音楽についての文化研究にも役に立っているような気がします。
 さてロスのハリー・ボッシュからニューヨークのジョー・ダンテを経て、また何回目かのエジンバラのジョー・リーバス刑事を読んでいますが、どの刑事もある意味でボヘミアン的な警察官=組織人なんですね。組織に属しつつ、組織に馴染まない孤高の、そして自由な分だけ暴走する時もある破滅的で、しかし有能な主人公です。ハリーがジャズを、リーバスがロックを好きなのも自由を希求するキャラクターの一部と考えていいでしょう。そこが読者の興味を引くのかも知れません。