メディア、帝国、19世紀末

29日(日)に表題のシンポジウムを聞いて、以下の様な事を考えたのでまとめておきます。特に秋田のM先生の西部劇についての言及をきっかけに、エドウィン・ポーターの『大列車強盗』(1903)をそこに置くとこのシンポの枠組みが自分としてはすっきり腑に落ちます。
フロンティア消滅(1890年)と、フレデリック・J・ターナーの「アメリカ史におけるフロンティアの意義」が国家的言説として作り上げたのが、シンポジウムでも取り上げられたシカゴ万博と同時期の1893年。そのグランド・ナラティブを1895年に誕生した新しいメディアである映画が初めてストーリーを持った劇映画として登場するのが『大列車強盗』で、これはフロンティアの神話化として機能する。
そしてこの世紀転換期に登場した20世紀初頭のアメリカの拡張主義を代表するセオドア・ルーズベルトがフロンティア消滅直前の米西戦争でヒーローとなり、西部劇の騎兵隊の役割を現実的にも象徴的にも担った大統領として神話化されたフロンティアの物語を中南米とアジアにも敷衍してアメリカ帝国としていく訳ですね。
そう考えると、アメリカってイギリスから独立したようで、20世紀前半の大英帝国の覇権を20世紀後半に引き継いでいっただけなんだと納得します。この20世紀におけるアングロ・サクソンの支配が、覇権言語としての英語の位置づけと意味、そして役割につながる。
そんな事をシンポジウムを聞きながら思い、そして事後的に思いついた事も含めて書いてみました。