漱石と新聞連載

1910年に連載された漱石の『門』の再録を懐かしく思いながら読んでいます。長さものんびり読みながらも、熟読するのにちょうどいい。『三四郎』、『それから』に続く三部作最後の作品とされていて、主人公の名前などの詳細は違うが、『それから』の後を引き継ぐような枠組みになっています。ただ新聞で再読して、単独の作品として読んでもいいような気がします。役所勤めをしている宗助は、世間をはばかるような控えめな暮らしをしているが、その理由は『それから』の最後で友人の妻を奪った大助の「それから」が宗助とされているからである。
 ゆっくりと読み直してみて、漱石の文章の特徴が分かります。先ず、1文が長い。くねくねと続いて、そしてそれが読みづらい訳でもない。それと漢字が多い。明治時代の文人が総じてそうなのか、漢籍に詳しい漱石独自の特徴なのか、僕は気にならないが、若い読者なら濃い暗い紙面だと敬遠するか。
 引用は、手紙を出すついで散歩をして煙草を買おうとする宗助の心理描写ですが、都市論的な意味もあって面白いです。また括弧の部分が現代ならかなになるのでしょうね。

 彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみならず、毎日役所の行通(ゆきかよい)には電車を利用して、賑(にぎ)やかな町を二度ずつはきっと往(い)ったり来たりする習慣になっているのではあるが、身体(からだ)と頭に楽(らく)がないので、何時(いつ)でも上(うわ)の空(そら)で素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活(いき)ているという自覚は近来とんと起った事がない。