『あるキング』と『マクベス』

『あるキング』(新潮文庫)は、前項でもふれたように雑誌掲載〜単行本〜文庫化でそれぞれ加筆訂正をして基本的には同じ物語の3つのバージョンをまとめて文庫に収録したものです。文庫収録の順番は単行本〜雑誌掲載〜文庫化でマクベスへの言及は「少しあり」〜「殆どなし」〜「かなりあり」と変遷していて、改訂する度にマクベス色を濃くしているので、それについて文学研究の王道というかテクスト・クリティックの方法で検証しようと思いました。
 さて「雑誌版」ではマクベスはもとよりシェークスピアへの言及もありません。ただ「歴史上、王の命を狙う者はいつも絶える事はない」とのみ記されています。しかし、「単行本版」からマクベスが前景化され、「文庫本版」ではサブテクストとも言える役割を担うようになる核は内包しているようにも。
 「単行本版」では9回言及され、特に魔女と目される「黒い服の女」が6回登場し、「パーナムの森」や「ファウルはフェア」という表現も出てきます。王については「王になる方」や王の役割について3回言及されます。さらに「マクベスとには妻がいたが、山田王求(主人公)にはこの親がいる」という表現も。ここでは明らかに『マクベス』を読者が承知している作品として物語に使用していますが、天才野球少年=王とそれを支える人たち、そして王を嫉妬し憎み、弑逆しようとする人たちの物語を描くために補助線的な役割に留まっている。(続く)