会報からHPへ

事情があって、アメリカ文学会の支部の歴史を紐解いていました。1987年の会則改訂で支部学会の活動に「研究会」と「機関誌」に加えて「会報」が出現しました。想像するに北海道支部では札幌中心に研究会が開かれていますが、北の稚内、南の函館、東の北見から出てくるのは容易ではありません。そこで年1回の機関誌とは別に、例えば研究会の報告や会員の近況などを伝える会報(Newsletter)ができたのだと思います。
僕もその編集に関わった事があります。でも会則で「編集委員が機関誌・会報の編集・発刊の任に当たる」というのは事務局〜支部長を10年近く務めていますが、知りませんでした。というのも、2000年代初めにHPができて、2005年を最後に会報は作られていませんでした。それで数年前から会則にある会報の部分を削除してはどうかという意見も出ていました。でも今回のような支部長を務めた先生の追悼号のような有効利用の例があると、簡単に削除しない方がいいという判断もありえます。
 思い出せば、今回追悼したK先生の師とも言えるE先生が支部長になった時に、同じ西野に住んでいたOさんと呼び出されて、会報の事など話した記憶があります。でもその後は酔いつぶれてよく覚えていません。20年くらい前でしょうか。