フィラデルフィアの思い出

フィラデルフィアを舞台としたリーガル・サスペンスを読んだので、懐かしくなってフィラデルフィアについて思い出してみました。フィラデルフィアは、ペンシルベニア州南東部にある都市で、北のニューヨークと南のワシントンの中間で、どちらからもアムトラックで1時間30分くらいだったような。人口は150万で全米第5位。都市圏 の人口は560万人で全米4位の大都市です。
 住んでいたのは市中央部センター・シティの西側にあるペンシルヴァニア大学の更に西にあるアパート。1 bedroomタイプなので、日本で言えば1LDKか。学生向けの全部まとめて1室ならstudioタイプと言っていました。リビングとダイニングは日本よりは大きい。寝室も大きいです。バスルームにはトイレとシャーで、湯船はなかった。家賃は6〜7万円くらい。さっきネットで見ると10万円になっていました。日本にいる時にネットで目星をつけていたのですが、フィラデルフィアについてホテルに数日泊まりながら、実際に見て決めました。契約書をなぜか保存していましたが、昨年研究室の引っ越しの時に処分したかも。元ホテルだったアパアートで、場所は大学の端から5分くらい。写真で見るとけっこう立派に見えます。そう言えばニューヨークも元ホテルのアパートでした。書いている内に思い出してきますが、unfurnishedだったので、家具をレンタルしました。家具屋さんでFutonという日本語が使われていましたが、これはカウチ兼ソファの意味で使っていたような。
後で近所の安全性についてタクシーの運転手さんに聞くと、その場所はある時期には安全で、別な時期にはそうではないと教えられました。つまり安全/危険の境目の地域で、年によって犯罪発生率がちがうのでしょう。近くのDinoというピザ屋さんの窓口は鉄格子でした。そしてその店の前で黒人青年が警官に捕まって手錠をされるところを生まれて初めて目撃しました。アパートに引っ越してすぐにキャンパス内でユダヤ系研究者が射殺される事件があって驚いた記憶があります。大学構内に小さな警察署があり、夜になるとミニバスのエスコート・サービスがあり、運転手さんはバスを降りた学生がアパートの玄関を開けるまで見守っていました。酒屋さんの前にはホームレスの人がいて、小銭をせびるので出入りがしずらかった。ホームレスと言えば、家族連れの人がいたり、地下から暖かい空気が噴き出てくる舗道の真ん中に寝ている人がいたり。
大学のそばには昼時にFood truckが止まっていて、ピザやピタ(アラビア風のパン)、中華、サンドイッチが売られていました。あるトラックのピザがいままで一番美味しかったと家内が言っていました。1スライスでも注文で来て手軽です。ダウンタウンのリバティー・プラザと言うショッピング・モールにはfood courtがあって便利でした。今では日本にも普通にありますけれど。