教授会の孤独

昨日の教授会でアドミッション・ポリシーの表現について審議がありました。「人材を育成する」がいいか「人間を育成する」がいいかについて結構いろんな意見が出ました。どちらの支持または反対意見にもそれぞれ妥当性があり、その人の考えや言葉の好みによると思います。
ところが同じ文書の「課題に応える」についておかしいのではと意見を言ったところ、あまり賛同を得ず浮いてしまいました。確かに「課題に応える」ってさっと読むとすっと入って来て違和感がありません。でも僕は人材/人間の議論をスル―しながらその前後の表現をチェックしていると「課題に応える」が浮き上がって来て、おかしいように思え、iPadを使ってネットを見ると、じつはけっこう「課題に応える」という言い方が氾濫していました。
しかし、それにめげずさらに「課題」と「応える」を個別に確認してみました。「課題」には「取り組む」か、せいぜい「課題に対応する」でしょう。一方「応える」の方は「期待に応える」、「要望に応える」など言い方が正しい。「応える」ってのは、相手側のこちらに対しての働きかけがあって、それに対して「応える」のですから。たまたま受験生向けの大学ガイドの学部・学科部分の校正をしていますが、そこでは「要請に応える」という表現が出てきました。
 たぶん間違った言い方が通用しているのだと思います。その理由は「課題」が「解決しなければならない問題」「果たすべき仕事」という意味を持つので、「問題・仕事」=課題に「取り組む」という正しい連語関係を横に置いて、「解決しなければならない」「果たすべき」という修飾語が「期待」「要請」されるという風に心理的に強く働いて、「応える」という動詞を選んでしまった、そのように推測しました。