政治と政策

朝刊をよんでいると、編集委員のM氏による「脱原発」についてのコラムに疑問が。最近ちゃんとした新聞や雑誌の記事の表現で違和感を覚える事が時々あります。あまりたくさんの新聞や雑誌を読んでいる訳ではないので、A新聞の例が多いのですが、問題は若手記者だけだはなく、中堅・ベテランと思われる記者の文にも問題ありと思う事も。昨年の11月1日にも「ワイエスの再評価」で出た「小言幸兵衛」がまた。実は、自分が年を取ってきて、「小言幸兵衛」的になっているのかなとも思います。でも間違いを見つけるための時間もあるけれど、文章に対してのチェック能力も鋭くなって来たかも知れないと言うという、妄想もあります。
 今回は編集委員が、「脱原発」に向けて努力しているある人物の「政治と政策」についての意見を引用する部分、というか引用の仕方が気になりました。引用は「政治はだれが得をするかの調整」、「政策は全体として何が最善かの選択」という「政治と政策」についての発言です。「本当の政治は違うけれど、残念ながら現実はこうなんだよ」というシニカルな定義とも言えなくもない。それを織り込み済みとコラムの書き手は強弁できなくもないけれど、違和感が読後に強く残りました。
で、先ず辞書的な定義の確認。「政治」について、広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。」とあり、前半部は抽象的に過ぎる。 大辞泉では「1. 主権者が、領土・人民を治めること。2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。」となっていて、こちらの方がすっきり説明しています。一方「政策」の方は、ウィキによると「現代社会における様々な問題を解明し、その対策を考えること。主に、政策は官公庁・地方自治体・シンクタンクが形成活動を掌ることが多い。」とあり、社会の問題を政治的に対策を考えるのが政策だと言えます。
さて件のコラムは間違っていないかもしれないけれど、少なくとも舌足らずだと思いました。