入れ子構造の映画について

『ザ・ワーズ 盗まれた人生』( The Words、2012)を見て、映画における語りの構造について考えてみました。
主演のブラッドリー・クーパーは『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』で人気が出たので、ハンサムなコメディアンのような印象だったが、『世界にひとつのプレイブック』のお宅的なキャラクターでアカデミー賞にノミネートされました。今年は『アメリカン・スナイパー』でシリアス路線に成功しています。
さて映画の一番外側の物語には中年作家クレイ・ハモンドデニス・クエイド)がいます。その中の物語はクレイの作品で、その中にクーパーが演じる作家ロリーが登場します。ここまでは二重の構造として、さほど珍しくも難しくもない。しかしこのロリーが発表する物語が盗作であった事から少しずつややこしくなります。
 作家として世に出たいと切望しながらなかなか実現しないロリーが旅行先で見つけた骨董品のアタッシュケースの中に入っていた原稿を自分の作品として出版すると、ベストセラーになって金と名声を得るようになります。そして盗作の物語となると当然本当の書き手が現れる。老人(ジェレミー・アイアンズ)がロリーを訪ねて来て、あの原稿は自分の作品だと告げます。そして老人の作品は自分の妻子の話だったのですが、それが第3の物語として描かれます。
第1の物語は作家クレイ、第2の物語はクレイの書く小説の登場人物としての盗作作家ロリーと真の書き手の老人、そして第3の物語は老人の書いた物語≒老人の体験、となります。整理するとそんなでもないですが、最後にもう一捻りあります。
第3の物語では第2次大戦終了直後のパリにいた兵士が若い女性と結婚をするけれど、子供が亡くなって二人は別れる。その物語の兵士はおそらく物語を書いた老人である事が想像できます。ただ、第1の物語の作家クレイに近づく若い女性が第3の物語に出てきた若い女性の係累かも知れないとなると、クレイもまた盗作をしたのかという疑問も生まれ、物語内物語のチャイニーズ・ボックスは無限に内側に開かれていく。内側ではなくて、外側にかな。