他者承認と「空気を読む」

実は「働くこと」における自己/他者承認の割合が、他者承認の方に傾いているのではと思っていました。つまり「働くこと」においては自分で評価する部分と他者からも評価されたい部分とある訳ですが、その他者からの承認を強く求めるという事が、「空気を読む」という事が必要以上に肯定的にとらえられ、「空気を読めない」人を排斥する風潮とリンクしているのではと思っています。
表面的なコミュニケーションのあり方を若い人たちが重要と考えて、傷つけない/傷つかない事を大前提として人と付き合う傾向につながった。人と真摯に向き合えば傷つける事も傷つく事もあるけれど、それを回避する事を優先する。ぬるま湯的な付き合いの輪を自分の周りに張り巡らせて、仲間外れにされないかとピリピリしている。
「空気を読む」こと自体はその場において何が進行しているかを知る事なので大事なのだが、それに対してその場の調和的だけれど微温的な雰囲気が間違っていれば異を唱える事は、空気を読んで大勢に同調するよりも重要だ。その自己と他者の関係を調和的なものとだけするのでは、自己が消えてしまう。自己と他者と言う社会的な関係は、常に調和と対立を前提として、議論して解決したり、未解決のまま我慢したりしなければならない。それが調和だけを前提とすると、問題がずっと議論や検討がされないままに社会/集団の中に残っている事になる。