メンフィスとブルース

メンフィスで行われている錦織選手の準決勝をみました。この準決勝では勝って、決勝に進みましたがその結果はどうなったか。会場のテネシー州メンフィスは、カントリー・ミュージックの本場として知られる州都ナッシュビルより大きい、州最大の都市でミシシッピ川に面しています。人口の約6割を黒人人が占めているのは、19世紀に綿花の集散地として発展する一方で奴隷市が開かれていた歴史があるからでしょう
僕がメンフィスを訪れた理由はキング牧師とブルースに関連する関心からでした。ニューヨーク滞在中に10日間ほどアトランタニューオリンズセントルイス〜メンフィス〜シカゴへ旅した話はちょうど2年前の2月に書きましたが、メンフィスにはふれていませんでしたので今回書いてしまいます。
このメンフィスはセントルイスと並ぶブルースが生まれた場所として、またアメリカの現代史的には1968年清掃労働者の待遇改善を求めるストライキの応援のために訪れていたキング牧師が暗殺された場所として有名になりました。現場のモーテルはフロントを中心として一部が国立公民権博物館(National Civil Rights Museum) になっていました。
実はメンフィスはエルヴィス・プレスリーが住んだ町で、「グレイスランド」という名で有名な邸宅が一般公開されていますが、僕は行きませんでした。それよりもスタックス・レコードなど60年代と70年代のソウル・ミュージック黄金時代を支えたレーベルがメンフィスを本拠地としていた事、ビール・ストリートでのブルースのライブハウスの方が僕にとって重要でした。B・B・キングははじめビール・ストリート・ブルース・ボーイという芸名でしたが、Bを1つ減らして現在の名前となったと言われています。
ビール・ストリートは本当にブルースの店が多くて何軒も梯子をしました。年配のブルース・ミュージシャンの演奏を聴いてCDを買いましたが、アルバム・タイトルの”Ain’t Pickin’ No More”は「もう綿摘みはいやだ」という意味で、その年齢の人は若い時に綿畑での重労働を経験していたようです。同じテネシー州出身のティナ・ターナーも綿摘みをしたと言っていました。
さてこのメンフィスはジョン・グリシャムの『ザ・ファーム 法律事務所』、『依頼人』、『レインメーカー』などリーガル・ミステリー(法廷サスペンス)の舞台にもなっていて、どれも映画になっていますので、メンフィスの雰囲気を手っ取り早く知るにはお奨めです。
あまり大きくなく、観光用の電車もあってけっこう楽しめる街でした。またメンフィスではピーボディ・ホテルが有名で、「ダックマーチ」と呼ばれる売り物があります。何て事はないのですが、屋上の小屋にいる鴨が毎日11時に小屋からエレベーターでロビーの池まで出勤して、夕方5時には同じルートで屋上に戻る様子を見ることができ、グッズショップもあります。僕たちは向かいのもっと安いホリディ・インに泊まっていたのですが、この「ダックマーチ」を見に行きました。ま、面白いと言うか、大したことないと言うか。
さて錦織選手はメンフィスの大会3連覇、優勝トロフィーはギターの形をしたものでした。