キャプラとアメリカの幻想

先ごろ取り上げた『LIFE!』のベン・スティラーとほぼ同い年のアダム・サンドラーが主演する『Mr.ディーズ』(Mr. Deeds、2002)の方は、ゲーリー・クーパー主演の『オペラハット』(Mr. Deeds Goes to Town, 1936)のリメイクです。
で今回は『オペラハット』を含め『或る夜の出来事』、『我が家の楽園』と3度アカデミー監督賞を受賞しているフランク・キャプラ(1897-1991年)とアメリカのヒューマニズムと正義の幻想について。
或る夜の出来事』はハリー・コーン率いるコロンビア映画がメジャー・スタジオの仲間入りを果たすきっかけとなったスクリューボール・コメディで、クローデット・コルベールヒッチハイクする時にスカートを上げる場面は映画そのものを見ていなくても知っているでしょう。スクリューボール・コメディとはスクリューボール(変化球、変人)から来ていて、ちょっと変わったカップルの恋愛コメディー。キャプラの映画でこのジャンルに入るのは1938年の『我が家の楽園』、後はハワード・ホークス監督の『赤ちゃん教育』(Bringing Up Baby 、1938)、『ヒズ・ガール・フライデー 』(His Girl Friday、1939)がこのジャンルの代表作です。
さて『オペラハット』(1936)の2年後の1936年に『オペラハット』、そしてさらに2年後に『我が家の楽園』 (1938)を発表して3回目の監督賞受賞をして向かうところ敵ないし状態でしょうか。さらに1939年『スミス都へ行く』 (Mr. Smith Goes to Washington )もここで取り得上げるアメリカの楽天主義、正義とヒューマニズムを描いた代表作と言われていますが、本当にそうなのだろうか。
この映画が作られた1930年代のアメリカは、世界大恐慌のさ中で、ルーズベルト大統領がニューディール政策によって窮状を克服しようとしましたが、その効果について疑問の余地がありそうです。実際には失業者は1000万人を越え、破綻した銀行は1万行以上と言われています。そんな厳しい時代だからこそ、ヒューマニズムあふれる、正義を信じる映画が好まれたとも言える。しかしキャプラが歌い上げたような正義やヒューマニズムが本当にあったのだろうか。それは、シチリアから移民してきたイタリア系アメリカ人のアメリカへの願望か幻想だったのでないだろうか。虚構の「アメリカン・ドリーム」ではなかったのではないだろうか。そんな風に思っていました。
でも一方では、願望や幻想でもそんなあり得ない事を描こうとうする人たちがいる世界と、そうでない世界との差異を考えてみると、幻想を抱く人たちが存在する世界の方がましなのではとも思います。私たちが現実として認識しているかなりの部分が幻想だとしても、またはが現実はそれなりに知っている上で理想を抱こうとしている場合でも、そのような幻想や理想を持ちえない社会よりはましなのではないだろうか。そう思うと、理想や幻想を抱く事の意味や意義について積極的に肯定的に、そしてフェアに考えてみたいと思います。
オペラハット』という内容と無縁の邦題は、ゲーリー・クーパーのシルクハットからでしょうか。